検査の結果、抗リン脂質抗体症候群ではなく、プロテインS欠損症と出たわけですが、その結果を受けて、心臓血管外科の医師との話し合いがもたれました。
個人的には、今回の血栓症が偶発的な物では無く、起因する物があることによってなので、難易度がグーンっと上がった気がしていました。
そして、医師の意見。
「うーん、困ったねぇ、このパターンは、本にも載っていないんだよねぇ、だから、何をやっても先例の無い事になるから、治療方針が決まるまで病院に居てくれる?」
この当時は、妊娠トラブルの血栓症が注目され始める少し前だったので、自分で調べてみても、妊娠中の血栓症の情報は皆無に近かったし、これに現状と原因を合わせると、無かったかもしれませんね。
そして、産科医の先生の話。
「このまま、ずっと産むまで居てくれた方が、安全なんだけど、帰りたいよね?」
確かに、上手くいったとすれば、予定日が来年の1月24日なので、ずっと入院していると6月20日の入院から、約半年間入院している事になる。
もちろん、最初は足の腫れを見てもらうつもりで病院に行って、そのままずっと病院なので、子どもが生まれる準備なんか何にもしていないのが現状なのである。
そのため、安定期に入ったら、一度、退院することを目指して、治療法を模索する事になりました。
まぁ、僕らのすることは、検査をいろいろ受けるだけですけどね。
ウロキナーゼは、前の病院分で終わっているために、転院してからは、ヘパリン注射が1日2回だけの処置でしたが、分量を変えた状態で凝固検査を受け、安全なラインを探っていきます。
そして、最後に残った問題がありました。
この1日2回12時間おきのヘパリン注射を誰が打つかと言うことでした。
選択肢は2つ。
自己注射で打つ。
医療機関で打つ。
の2つでしたが、この当時(平成18年)は、まだヘパリン自己注射は保険の適用になっておらず、ただでさえ高価な薬なので、経済的負担が大きい事と、心臓血管の先生からの意見としては、難易度の高い注射液なので、自己注射だと注射液が完全に入らず、予定の効果が出ない恐れがあるっと言うことで、後者を選択することになりました。
この場合の問題としては、どこの医療機関で打ってもらうかですが、この病院までは、自宅から片道20キロで往復40キロ、1日2回なので1日80キロの移動が必要になります。
そこで、受けてくれる病院を探したのですが、最初に入院した病院が快く受け入れてくれました、この病院までは片道5キロほどなので、1/4ほどで済みました。
もし受け入れ先が見つからなければ、片道20キロが必要だったので、これは非常に助かりました。
かくして、8月が目前の7月下旬、治療方針の決定、受け入れ先の確保、そして安定期に突入して1回目の退院に漕ぎ着けたのでありました。
つづく。