平安時代から令和の時代になっても名を残す紫式部✨
平安時代の恋の模様は如何だったのでしょうか。
恋の物語としての手がかり、源氏物語には美女の条件が記されています。
(下記本文抜粋)
平安美女の第一条件と言えば、丈なす黒髪。長い豊かな黒髪を扇のようにひろげた様子が美しいと讃えられていました。
その長さと言うと、『源氏物語』に登場する末摘花(すえつむはな)の髪の長さは、衣よりさらに一尺、
つまり背丈より30cm長いとあります。
原始化粧から伝統化粧の時代へ 平安時代1 | ポーラ文化研究所 (po-holdings.co.jp)
つまり、顔立ちや体型では無く、平安美女の条件は「黒髪」だった⁉
平安の世は、
現代でいう「見た目」とは大きな価値観がありました。
御令嬢は異性に会う事も叶わない時代でしたので、
女性の魅力とは、
①手習い(文字の美しさ)
②和歌
③琴
・・のような文化的な魅力であり、女性の美=美しい顔立ちやバランスのとれたプロポーションでは無かったのです。
平安時代の女性としての心得えは、令和の現代においても十分価値が御座います。
令和の世であっても、文字が美しい女性を嫌う人はいない。
日本語にはひらがな、漢字、片仮名があり、美しい文字はこのデジタル時代にあっても輝きを持っていますね✨
深窓の令嬢
(平安時代の恋)
貴族の姫君は深窓の令嬢という言葉がぴったりで、
お屋敷の奥の部屋に住んでいました。
年頃になると父親や兄弟にも顔を見せず、
お出かけも輿(こし)や牛車の中でした。
ではどうやって世の男たちに自分の存在を
知らせることができたのでしょう。
大切なのはウワサでした。
源氏物語【21】貴族の恋〈前〉今回は平安時代の男女はどのように出会い、結ばれたかについて見ていきます (shikibunosato.com)
一方一般国民の女性たちは、実家の一員として暮らしながらも、
顔を水で洗ったり、清潔さを保つような美意識を持っていたようです。
(下記本文抜粋)
『東大寺縁起絵巻(大仏縁起)』の光明皇后による施浴に表わされているように、
寺院での施浴はお風呂のルーツとなって私たち日本人の入浴習慣に発展し、
肌を清潔に美しくするという概念の芽生えとなりました。スキンケアが一般的になる江戸時代の遥か以前、
平安時代には、肌を美しく整えるためのスキンケアの原型とも言える手入れがはじまっていたことは驚きですね。
https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/010.htm
平安時代の美人といえば小野小町。
女性というのは容姿よりもふくよかであり、色白の肌、そしてつやつやの髪を持っている方が美人
平安時代の女性の絵を見ているとおたふくとまでは言いませんが、能面のような面立ちの女性がよく描かれています。
平安時代には女性も手習いや和歌、教養を身に着け、恋愛面でも活発に御活動していたようですね✨
この時代の美意識がわたし達大和撫子の根底にあるのでは無いかと存じます。
顔立ちは問わない、着物ですからボディーラインも競わない。
雅な振る舞いや教養、一般人であっても「賢さ」や「勤勉さ」が魅力を形成された。
飯島義晴氏によれば「男女が自主的にパートナーを選ぶことができる、自由恋愛」が存在したと分析されております。
次回は、武家社会~現代の美文化。
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