私自身は美を生業にする美容師としての視点から、化粧についての考察、

なぜ女性が化粧をしたりボディーラインを整えるのか?についてお伝えしたいと存じます。

考古学、文化財等の専門家の皆様と違う「ヘアー&メイク」の視点から太古の時代を覗いて参ります✨

 

(弥生時代の日本人ファッションとメイク)

弥生時代に入ると日本に水田、稲作が始まりました。

食べ物の確保が狩猟から栽培に変わり、集団での生活が定着しました。

この頃の日本人は、

男女の服装も変わって来たようです。

 

 

男女の服装の違いは性差では無く、作業をする男性と子育てや家事に勤しむ女性の動きに合わせた合理的な服装であったでしょう。

くり返しで恐縮ですが、私自身は男女平等の業界に30年以上勤務する美容師です。

根本的に性差を職場で感じた事もありませんし、ジェンダーフリーであるべきと考えております。

 

弥生時代、日本国に置いて、「身分」というモノが生まれます。

弥生時代の身なりは下記のように記されています。

 

「倭」と呼ばれていたころの日本の地理や風俗が記され、日本人のよそおいが記録された最初のものと考えられています。

具体的には「男子は大小となく、皆黥面分身する」黥とは入墨のことで、男性は顔や身体に入墨をしていると記されています。
入墨ははじめ、魔除けなどの呪術的な意味合いであったものが、しだいに集団の印や飾りとなっていたのではないかと考えられます。

かわる社会の仕組み 弥生時代~古墳時代 2 よそおいの発展と赤の化粧 | ポーラ文化研究所 (po-holdings.co.jp)

 

身分や集団が発生する事で、「印」や飾りとしての入れ墨や化粧が施された。

天に祈る祭事的な意味合い、

出産した女性への祝い行事としての化粧、

豊作を祈る化粧‥など当時の日本人の先祖の皆様の思いを想像出来たら楽しいですね✨

 

さて、

時代は、飛鳥~奈良時代へ変わり化粧の本文が大きく変わって参ります。

▼「鳥毛立女屏風」の一部 正倉院蔵

【続く…】

 

 

恋活や婚活を歩み出す第一歩として、

※なぜメークやファッションを装うのか?

その原点を皆様と一緒に考察して参りたいと思います。

次回は、

煌びやか絢爛な奈良時代✨

どうぞ一緒に奈良時代の日本人の装いについて御考え戴けたら嬉しいです。

 

▼只今、新年「恋する」キャンペン実施中❢ 

こちらからは一切ご連絡しません。

御気軽にお問合せくださいね💕

スタッフ一同