前略 X様

中国の役人も日本の政治家や役人が公費で外国豪遊をするように豪遊する。
日本の政治家や役人の場合は、当地の大使館や領事館のスタッフをヘトヘトに疲れさせ、当地に進出している日系企業にまで負担を強いる。
激励してくれなんて頼んでいなくても、激励しにやって来る。
たいていの場合、彼らは本当にどうしようもない田舎者で、専門知識も無く、見識も狭く、教養も無く、心遣いも無く、全く何をしに外国に行っているのか、単に遊びに行っただけと思われて当然の旅行に公費を使いまくる。

中国の役人も同じで、挨拶に来いと言わなくても、ご丁寧に書記や市長が代わる度に日本の本社に挨拶に来てくれる。
そして挨拶が終わると秋葉原とか銀座とか浅草とかにお送りする。
最近、日本では銀聯カードが使える店が増えたので、中国の役人も安心して公費でバカ買いができる。
というか、中国人が最も安心してバカ買いができるのが日本のお買い物ゾーンなのである。

先日、ピップエレキバンの磁気ネックレスを日本で買って来てと頼まれた。
肩こりに悩む中国人の中年に最近非常に人気があるアイテムである。
中国でも似たようなものは売られているのだが、どれが本物か判らないので、日本で買ってきて、そして人民元で売って欲しいという。
磁気ネックレスなんて、本物と贋物でどれくらい効果に違いが有るか知らないが、中国人は中国ブランドだけではなく、中国で売られているというだけで最早信用が出来なくなっている。

ちょうど15年前、僕が初めて中国に来た時は、万年筆だとか、ライターだとか、ウォークマンだとか、そういう小さくて基礎的なものを日本で買ってきてくれと頼まれた。
2、3年前までは、中国でも売っているCASIOの電子辞書を日本の秋葉原で買ってきてくれと頼まれた。
中国に来ると、ブランドというのは国を挙げて作らねばならない信用であるということがよく分かる。
そして日本に残る最後の財産は、そういう信用しか無い、と思うようになる。

だから日本のネットユーザーが掲示板上で必死になって不正を糾弾する姿勢を僕は支持する。
マクドナルドのサクラくらいの事でも、馬鹿馬鹿しいほど力んでみせる姿勢を僕は支持する。
それが未来の日本を救うと信じるからである。
子孫の為に美田を買わず、大人はもっと信用を重んじる姿勢を示すべきである。

ある集団に信用が有るということは、その集団のモラルが高い水準で保たれているという事を意味する。
日本に中国や韓国に比べて信用が有るならば、日本人のモラルが彼らに比べて高いという事だ。
昔の日本人は、モラルが高いということ、そのものを誇って、モラルの高さを維持する事ができたらしい。
それが「武士は食わねど高楊枝」ということであり、「痩せ我慢の説」というものだろう。

それが観念的になり過ぎると、モラルが高いという事と選民思想が歪に結合してしまい、なにやら胡散臭い皇国イデオロギーになってしまう。
だから集団のモラルが高いという事を日本人は観念的に捉えるのではなく、実用的に捉えた方が良かろう。
即ち、モラルが高いという事を以って世界の金持ちを相手にし、その金持ちに、モラルの高さに由来する信用の有る財やサービスを売って生計を立てる、という戦略である。
これはまことに日本人に適合した「武士の商法」であると思うのだが、そういう一つ間違えれば言葉遊びに堕しかねない発言を連発する政治家というのが今の日本に見当たらないのが困る。

それは政治家が言葉のセンスを磨く努力を怠っているからだろう。
政治家だけではなくて、新聞テレビのメディア連中もそうなのだろう。
だから作家や芸能人がいきなり人気政治家になったりするのだろう。
語りかける言葉にセンスが無ければ指導者になることはできない。

話は変わるが、最近のニュースを読んでいると日比谷公園に集まった失業者の群れのことを否応無く考えさせられる。
先ず思うのは、平凡だが、彼らは失業即ホームレスという立場に在りながら、貯金をしていなかったのだろうかということ。
僕は大学時代に一ヶ月10万円で暮していた。
それで家賃も払って死なないように食べて銭湯に行ってタバコも吸って本も買って時々麻雀までしていたのであるが、20年前に比べてそれほど物価が高くなっているわけでもないので、今でもその気になれば難しくないであろう。

という事は、失業即ホームレスに転落するような人は、少なくとも計画的に暮していたわけではない。
お金があれば、有るだけ使ってしまうような人々に違いない。
それは山谷や釜ヶ崎の日雇い労働者の群れのようなものだろう。
だとすれば、一般企業や政府が彼らを無理して雇用することにより救うことは難しい。

暮らしの計画を自分で立て実行することが出来ない彼らを救うことが出来るのは、慈善団体や宗教団体である。
実際にあれを主催していたのはNPOだったようなので、おそらくその類の組織であろう。
大企業や大金持ちが余剰金を使って為すべき社会貢献は、この場合彼らを雇うことではなく、その手の慈善団体に寄付をする事かも知れない。
ヤマトの小倉さんが遺した事業に見られるように、身体障害者でも、計画的に行動する事の重要性を教えられれば、採算が取れるビジネスに参加して自立することができるのであるから、問題は仕事のスキルとか、努力の有無ではない。

彼らに関する限り、そこが最大の問題であると思うのであるが、そのように問題の根本を洞察した記事を未だ目にしていない。
それはひょっとすると、マスコミが能無しだからではなく、そういう一見「強者の理不尽な仕打ち」という設定を強引に作りたがっているからではないのか。
人間は往々にして理不尽な風景を求め、それによって救いとか言い訳とかカタルシスを得ている。
しかし、少なくとも既存メディアだけから情報を得ている人々に比べて、ネットからも情報を得ている人々はそのような安易な救いやカタルシスを受け入れようとはしていないようだ。

それは健全で良い事だ。
もうそろそろ、報道という名で事実を伝えるフリをして、実は「大衆受けする物語を提供してやっている」、と思っている連中の罠に嵌るような幼稚さから抜け出しても良いだろう。
新聞記事を大学入試の問題に使っているようではダメだな、という理屈が受け入れられる今のような時代に僕が若者であったなら、僕は今のような人生を歩んでいなかったかも知れない。
だが、それはそれで良い。

早々