前略 X様

10月3日夕方、当日の午前中に華清の池で兵諫亭を見せずにあれだけ急がせたのに、夕食まで大分時間を残して西安の万年飯店に戻り、結局ガイドは自由行動を宣する、アホかい?
大連で手に入れられなかった「走遍中国」の陝西の巻を買いに市中の新華書店へ。
新華書店で西安の旅行ガイドの他に「陝西名人墓」という本を買う。
何しろ陝西省は中国史上の有名人の墓が密集しており、ここでの観光は墓を見るのが基本である。

新華書店は西安の中心、鐘楼ロータリーのすぐ傍に在る。
ここは何十年か前にNHKの「シルクロード」で陳舜臣が立っていた所だと記憶する。
現存する西安古城の跡は明代に作られたものを修築したもので、この鐘楼も洪武年間に建てられたものである。
鐘楼の近くに、これまた明代に作られた鼓楼がある。

老婆は小吃(道端の露店で売っているようなスナック)が好きで、新華書店を出るとすぐの横のイカの串焼き売りに小吃が売られている場所を聞くと鼓楼の近くにあるという。
新華書店のある鐘楼の東北角から鼓楼に行くにはロータリーの下の地下道を行かねばならぬ。
こういう時、方向音痴な老婆は「この道は合ってるの?」とかブツブツ言うのだが、構わず鐘楼の西北角に出る。
そこで哈蜜瓜を食ったり、大連に無いので名前は知らないが豆腐の蒲鉾風となっているものを串に刺したものを買い食いしたりしながら鼓楼を目指す。

鼓楼の北側には、なるほど言われた通り露店が沢山ある。
関中は鍋京のあった周代から周囲の山地は遊牧系異民族の巣のようなものであり、唐代に至って遠くヨーロッパの文物まで入ってくる国際都市となった。
今も全世界の観光客を集めてその風情が感じられるが、定住者の中では回族が多く見られる。
回族は中国人の顔をしていても、宗教がイスラム教なので服装を見ればすぐにそれと判る。

その回族が鼓楼の周囲に様々な露店を営んでいる。
後でわかったのだが、実は回族が多い西安でも随一のイスラム寺院「清真大寺」の門前町・回坊であった。
去年のちょうど今頃、成都の武侯祠に行った時もこうして小吃ばかり食べて晩御飯の代わりにした。
今年は成都が西安になって、武侯祠が清真寺に変わっただけのことだ。

ところで中国にイスラム教が伝わったのは唐の高宗の永徽二年(AD651)、即ちイスラム教が成立してからたった41年しか経っていないという時であった。
ムハンマドの弟子達は、「学問は遠くシナにあるが、行って求めるべし」という預言者の教えを直ちに実行したのだ。
ちなみにこの年、ササン朝ペルシアが滅亡しており、中近東ではサラセン帝国の怒涛の拡大が既に始まっていた。
そしてイスラム教が中国に伝わってちょうど百年後の玄宗の天寶十年(AD751)、タラス河畔の戦いで高句麗の遺民将軍高仙芝敗れて今度は逆に中国で発明された蔡候紙が初めて西洋に伝わるのである。

桑原博士が西安を訪れた百年前、西安にはイスラム寺院が八寺あり、「七、八十家の信徒を有す」という記述が「考史遊記」に見える。
現在は14のイスラム寺院があり、信者数は6万人を数えるというから西安に暮らす少数民族の中でも最大勢力だろう。
やはりここは長安の昔と同じく、西域への出発点であり、終点なのだ。
ちなみに西安の清真大寺が現在の場所に修築されたのは元の世祖の中統六年(AD1265?)と「考史遊記」は「重修清浄寺記」を引いて謂うが、手元の商務院書館の「中国大事年表」には中統は四年までしかないことになっている。

さて、我々夫婦は清真寺の周りをぐるりと取り巻く回坊の通りを歩きながら食べ歩きである。
国慶節連休中とて、中国のみならず世界の観光客がここの露店で怪しげなものを立ち食いしている。
羊肉串、即ちシシカバブが多いが、目を引いたのは地元名産の黄桂柿を練り込んだ餅を油を浅く引いたフライパンでフライした、日本で言えば長野善光寺の「お焼き」のような「黄桂柿子餅」の店に行列ができていたことだ。
この黄桂柿というのは不思議な柿で、華清宮の庭に生えているのをガイドが解説したところによれば、棗の木の幹に(枝ではない)柿を接木して作ったものだという。

老婆はB級グルメですらない、C級グルメである。
行列ができているのであれば、さぞかし美味い名物なのだろうと列に並び始める。
中国にしては行儀よく列が出来ているが、僕が煙草を3本吸い終わっても、いっこうに列が進まぬ。
餅は次々にフライしてトレーに並べられるが、お勘定と包装を担当している小姐が間抜けなのか、それとも行列を作るためにわざとしているのか、作業がノロノロしていて見ちゃいられないのだ。

短気な老婆はすぐに諦めて行列を離れ、別に同じものを売っている店を探そうとて更に回坊奥深く歩き進む。
するとやはり結構それを売っている店が有るのであった。
老婆は気の利いた感じの小姐が店番をしている店で胡麻餡の入った柿子餅を買って食べた。
それを横で見ていたドイツ人の中年夫婦が「これは何か?」としきりに英語やらドイツ語やらで話しかけてきていたが、面倒なので「ワタシ中国人、洋鬼様のお言葉ワカリマセーン」という顔をしてC級グルメを続ける。

こういうものを食べ歩きしていると普通の日本人なら腹を壊すかも知れないが、我々は平気だ。
それに既にいろいろ食ってしまっているので、とにかくここで更にいろいろ食って腹を満たすしかない。
最後に回族のおばさんが一人でやっている間口一間の面荘で酸辣湯麺を食って締めた。
回族のおばさんの店だから、当然ビールの一本も無かったが、麺は何だか美味かった。

ホテルに帰る為にタクシーをつかまえようとして、通りに出ようとしたら途中に足浴があったので入った。
思えば前日に華山を降りる時、膝がわらっていたので足マッサージをしたくてたまらなかったが大ハズレだった。
特に老婆についた若い男の按摩師は見習いで、技術も何もあったものではなく、ひたすらひどかった。

怒りん坊な老婆はプンプン怒って足浴店を後にする。
タクシーに乗って真っ直ぐ万年飯店に帰る。
風呂に入ったあと、麺棒で鼻掃除をしたら黒かった。
タバコではない、空気が悪いのだ。

道理で鐘楼から東西南北の門が見えないなあ、と思ったら、単に霧が濃かったのではなく、空気が悪かったのだ。
実際、西安は空気が悪くて長く居ようとは思わない。
住むところとしてはダメだなあ、とは思っていたが、この時、もう二度と訪れることも無いかも知れないなあ、とも思った。
西安350万人、その350万人の内の何人がここまで空気を汚しているのか。

少なくとも6万人の回族が汚しているのではなかろう。

早々