前略 X様

阪神が首位に立った。
あまりにも感激したので、何とかして自分のブログを更新できないかと思い、久しぶりにアクセスを試みたらできた。
何だか変なコメントやトラックバックが知らぬ間にたくさんついているが気にしない。
いずれも、阪神が読売を倒して首位に立ったことに比べれば些細なことである。

この偉大な出来事の前には、大連ダボス会議もかすんでしまう。
ところが女房にとってはそうではないので、せっかくNHKワールドプレミアムで阪神巨人戦を中継していたのに見逃した。
女房は家にいる時は明けても暮れても大連テレビでダボス会議関係の番組を見ている。
確かに、大連ダボス会議は阪神の優勝に比べれば些細だが、一般的には重要なイベントだ。

日本のマスコミがダボス会議関係の報道をあまりしていないのは全く理解できない。
このままでは日本は「近所の人のいい金持ちのおじさん」みたいな国になってしまう。
子孫に恨まれるのではないかと恐れる。
僕は先日、ダボス会議に出席している或る人とたまたま話す機会があったが、その際に、この日本の世界における存在感の薄さというか、世界の潮流に鈍感なマスコミや世論等に関して共に嘆息し、日本はもっと頑張らねばならないなあという感想を共有したものだった。

そういう「もっと頑張らねばならない日本」と、昨今の読売ジャイアンツが、僕の中で妙にオーバーラップしている。
読売ジャイアンツは我々にとって憎き敵だが、読売ジャイアンツが歴史的に日本のプロ野球の象徴的存在であるということは紛れも無い事実である。
僕はもちろん、阪神には強くなって欲しいが、優勝するにしても、それは強くて憎たらしい読売を倒しての優勝でなければ価値が減ずる。
だから心の底では、実は読売には強い球団で居続けて欲しいのである。

トラキチは阪神の優勝を三度見ると死ぬという。
僕は既に三度見た。
死ぬまでに、あと1度か2度、優勝を見られれば思い残すことはない。
だから今年も早々と諦めて「それなりに」ペナントレースを楽しんで見守っていた。

それが今年はどうしたことか。
強い読売に最大12ゲーム差をつけられたにも関らず、何とその読売を倒して首位に立ったではないか。
こうなるとダボス会議がどうなろうが、日本経済がどうなろうが知ったことではない。
望みは阪神が優勝すること、それのみである。

それなのに、ああそれなのに、僕は連日連夜、女房が食い入っているダボス会議ウォッチに付き合わせられている。
そりゃあ、ダボス会議は大事だ。
特に国際的に資金を動かして金儲けをしたい連中には。
しかし俺の人生に、特に読売との首位決戦の試合が中継されている時に、そんなことが一体どんな意味があるというのだ。

利巧な中国人は大連に来てダボス会議に注目してたんと儲けるがいいさ。
俺は馬鹿だから儲けられないがね。
しかし中国人の中にもきっといるだろう。
僕みたいな生き方の方が良いって思う馬鹿な奴が。

それにしてもアメリカ人のジャーナリストは下品だな。

早々