前略 X様

九寨溝は岷江を遡って源流を過ぎ、分水嶺を越えた四川省の北端にある。
チベット族など少数民族しか暮らしていない山奥僻地で、漢民族は文革の終わり頃まで、そこに奇観絶景の有るを知らなかった。
標高は2千メートルから3千メートルくらい、日本なら森林限界をとっくに超えているだろう高さでも岷江杉を中心とした原生林が極相を形成して鬱蒼と広がる場所だ。
ここは日本に比べて緯度が低いので、森林限界が高いのかもしれない。

川主寺を早朝に出発したバスは、九寨溝を目指して北へ北へと進む。
岷江杉の林業地帯と思しき杉林の間を抜け、雪山を彼方に見つつ九十九折の道には援蒋ルートよろしく同じ大きさのバスが数珠繋がりに並んで走る。
最近、気になっているのだが、中国の新しい観光バスは厦門金龍の39人乗りばかり。
現代やベンツも少ないが、そもそも大連でもここでも日系メーカーの観光用大型バスを見かけない。

日系バスメーカーは一体何をやっとんのじゃ?
それはともかく、川主寺から1時間と少しを走ると九寨溝である。
九寨溝というのは、読んで字の如く「九つの寨がある溝」である。
「寨」は「村」と訳されている文献が多いが、僕に言わせればこれは水滸伝梁山泊の「寨」と同じで、山間部で数軒の家が集まった所を指す。

村と言うよりは小さな集落であろう。
「溝」というのは谷間で、つまり九寨溝というのは「9つのチベット族の集落がある谷間」という意味である。
「9つの寨の内、観光客に開放されているのは3つだけ」とガイドが言うから、九寨溝で観光客が見られるのは一部かと思っていたが、何のことは無い、開放されているチベット族の集落が3つだけ、という意味で、景色そのものは全て開放されていたのだった。
ガイドの言うことは大部分、女房の通訳を通して聞いているので、時々こういう紛らわしい勘違いが生じる。

九寨溝の入り口は溝口と謂う標高二千メートルの狭い平地である。
この近くに多くのホテルがあり、観光バスも集まって来ている。
国慶節休みの人出は駐車場に入りきれない観光バスが路駐をするほどの賑わいで、多分1万人以上は来ていただろう。
僕たちのツアーのバスは細長い駐車場の端っこに何とか入り込み、そこから川筋にテクテク歩いて約10分で登山口に到着した。

入場料は200元以上取るらしいのだが、僕たちのツアーは九寨溝の入場料込みの金額を予め払い込んでいたので、ガイドからチケットを受け取るだけで済んだ。
何でこんなに高いのかというと、それだけ金をかけて観光用に整備しているからである。
それでもここは、例えばホテルが良くない、飯が不味い、トイレが汚い、ゴミをポイポイ捨てる奴が後を絶たない等という中国の田舎特有の事情により、世界遺産から外される危機に在るとガイドから聞いた。
そんな事を言っていては、中国の殆どの世界自然遺産は観光に適さないということになってしまうのだが。

チケットを持って、九寨溝内を巡回するバスに乗るための列に並ぶが、これがまた強烈である。
何しろ中国人はちゃんと列に並ぼうとしない。
それを鉄製の柵を使って強制的に並ばせようとするので、深緑色の制服を着た森林警備隊のお兄さん達が非常に恐い目をしてこちらを睨んでいる。
そうやってチェックしているのに、その目を掻い潜って少しでも行列を誤魔化そうとする中国人観光客が後を絶たない。

そうしてまた森林警備隊のお兄さん達も、こういう群衆を誘導するのに慣れていない。
ちゃんと並ぼうとすれば並ぼうとするほど、バスに乗り遅れる。
いつまで経ってもバスに乗れないのでイライラしてくる。
これも中国ではよくあることだが、列の途中に突然「特別な」出口が出来たりして、そこに向かって観光客が逆流してパニックになりかける。

それでも、なんとかバスに乗り込む。
ここは夏場の富士山のように一般車は入れないので、観光客は一度チケットを切って入場すると、九寨溝自然公園を巡る乗り放題バスに乗って観光する。
バスはちょうど空港の中を走っているようなやつで、ステップが低く幅が広く大勢の乗客を収容できるようになっている。
他の中国人観光客達との熾烈な競争に勝ち抜き、何とか座席を一つ確保して女房を座らせ、僕が吊革を握り締めて立つと猛烈なスピードでバスが坂道を発進する。

くねくねと山道を走っていると、10分ほどしてから九寨溝独特の景色が見え始める。
しかしこのバスの窓の位置は思ったほど低く、立ったままではなかなか外の景色がよく見えない。
全てのこういう巡回バスにはチベット族の衣装を身に着けたガイドが配されているらしく、ガイドがそれぞれの景色について普通話で説明を始める。
ところが後ろの方に座っていた女房は、その普通話の説明をなかなか聞き取れない。

ガイドが説明をしているのに、車内が異様にうるさい。
普通話をしゃべる人々だけならこれほどうるさくならない。
何とも不運な事に、我々夫婦は前後を香港人の家族に挟まれていたのである。
香港人は、あらゆる中国人の中でも車内で最も大声でしゃべる連中である。

九寨溝は国際的観光地なので、いろいろな言語を話す観光客を目にするが、この香港人が一番タチが悪い。
しかもまた、美しい景色を見て他の観光客がうっとりとしているというのに、彼等の話している内容が実に下らない。
僕は長年香港に住んで、なまじ広東語がわかるばっかりに、彼等の話の内容が聞こえてしまうので余計に苦痛であった。
こういう調子だから、香港人は大陸の観光地でえらく嫌われるのであろう。

やがてバスは長海という標高三千百メートルにある湖の岸辺に辿り着く。
防寒装備をしてきたつもりだったが、やはり寒く、仮設トイレみたいなものの前の行列に並ぶ。
ここのトイレは仮設トイレみたいに見えるが観光客用の常設トイレで、しかも実に清潔で綺麗だ。
多分、半径500キロメートル内のどのトイレよりも日本人は落ち着く。

九寨溝は上から見るとYの字型になっている。
川の上流を上にして見て、右側の上流を蔵馬龍里溝、左側の上流を則査ケイ(サンズイに圭)溝といい、その二つの川が鏡海という名の湖に注ぎ込んで、そこから一筋になった下流を樹正群海溝という。
「海」というのは、ここでは湖を指す。
ガイドの説明によれば、この山奥に暮らしてきた人々は本物の海を見たことがなく、少し大きな池を全て「海」または「海子」と呼ぶのだという。

長海は九寨溝で最大の湖ということで、チベット族の衣装を用意した写真屋もなかなか繁盛していたようである。
しかし天気が悪かったせいもあるが、見たところ只の山間の湖である。
それで早々にそこを立ち去り、少し下流にある五彩池に歩いて向かう。
山中の歩道は枕木のような木材を隙間無く敷き詰め、その上に金網を被せていて、至る所にゴミ箱もあり、大勢の観光客が訪れてもあまり自然を破壊しないように配慮されていた。

ちなみに当然だが九寨溝は入場後ほぼ全面的に禁煙である。
さて五彩池だが、海を見たことがない原住民もさすがに海とは呼べないほどの小さな池であった。
しかしこれまで見たことのない奇妙な景色であり、美しさであった。
水は近づいて見ればあくまで透き通っているのだが、薄いエメラルドブルーをしており、見る角度が違えば色も微妙に変わって何とも言いようがない美しさである。

湖底にはまだ枝を打っていない白い木材が沈んでいるが、その形を明確に識別できるほど水が澄んでいる極度に貧栄養化した池である。
九寨溝を「発見」した漢人は、樵だという。
山奥に岷江杉を切りに入って、偶然この美しくも奇妙な谷を見つけたが、元々木を切る為に分け入ったので、とにかく少し伐採した。
そしてその絶景は中国政府の知るところとなり、最高の観光地になると目をつけられ、即座に伐採が全面禁止されたという。

そこで伐採して水に落としたものの、下流に運ばれることなくそのまま湖の底に沈んだ木材を多く見ることができるのだが、高い湿度にも関わらず、二千メートル以上の標高による寒さと独特の水質によって木材がなかなか腐敗しないで原形を留めて残っている。
しかも流系によって水質が微妙に違うらしく、或る「海」では木材が石灰化しているのか異様に白く見え、或る「海」では湖面に少し出た木材に根付いた苗がそのまま木に生長し、まるで水中からいきなり木が生えたように見える場所も多い。
僕は大学で林学を学んだので、普通の人よりは森林の生態学や水文学に通じているつもりだが、この奇観の全てを科学的に説明することはなかなか難しいのではないかと思った。
現にガイドに拠れば未だ謎が多く、これから様々な研究成果が出るのではないかということだった。

女房にいつも「あんたの書くものは長い」と言われるのでコンパクトにまとめようと思うが、そもそも旅の思い出を覚え書きにしているので、なかなか短くならない。
仕方が無いので、今日の分はここで終わるが、九寨溝の話は次回に続く。
それにしても、さすがに中国が世界に誇る自然世界遺産である。
これに匹敵する世界遺産を日本は持たない。

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僕の身の回りには中国女性と結婚した日本男性や、日本男性と結婚した中国女性が多い。
今日も会社で同僚と世間話していて、そういう夫婦の話が出た。
僕の勤める会社で事務をしている或る女性に美人の妹がいて、非常に派手好きで、派手な生活をしたいばかりに日本人と結婚した。
両親やその姉を始め、周囲の人々は心配し、反対したが、当の本人は「私は日本文化と日本が好きだから大丈夫」と言って強引に結婚してしまったそうな。

で、結局その妹は今、日本人の夫との間に生まれた子供を連れて大連の実家でニートしているという。
両親は心配のあまり病気になってしまい、たった一人の働き手になってしまった姉もいつ倒れるかと気が気ではないが、当の本人は文句言いながらも平気で実家に寄生して暮らしている。
僕は他人のことを言えた義理ではないが、馬鹿だなあ、と思った。
もちろん一番バカなのは、とにかく誰でも日本人と結婚すれば金ピカな暮らしが出来ると思い込んでいたその妹である。

しかも別居(まだ離婚していないらしい)の理由が「日本人キライ!だってケチで細かいんだもん!」だから関係者ではなくても頭が痛くなる。
「お前が『日本人好き!』って言って勝手に結婚したんやんけ!?」とツッコミたくなるが、まあ日本人がその所得に比べてケチで細かいのは事実だ。
但し中国人から見てケチにしか見えないのは日本人の節約という美徳であり、中国人から見て細か過ぎると思えるのは日本人の細やかな心遣いとこだわりという美徳である。
そういう文化的なギャップや、或いは日本の物価水準や平均的サラリーマンの実生活を知らないで結婚したこの女がバカであることは疑いない。

しかし日本人の旦那の方にも落ち度は有ろう。
多分美人だから奥さんに貰ったのだろうが、中国と中国人について無知だったのではないか。
中国女性も日本女性と似たようなもので、わがままな人もそうでない人もいるが、わがままの質がかなり異なるように思える。
そういうことは、結婚してしまう前に経験者に訊いてみるものだ。

日本に渡って問題を起すチャイ嫁というのは、だいたいが田舎者で、日本で生活した経験を持たない。
だから日本と日本人、日本文化に関して驚くほど無知で、悪い幻想を抱いている。
そもそも日本の実態に無知なのに日本人と結婚したがるというのは、要する無知から来る勇敢さか、或いは勘違いか、さもなくば明確にカネ目当てなのである。
どこの国のどんな女であろうと、そんな女と結婚しても幸せな結婚生活を送ることができる可能性は極めて低い。

僕は再婚相手がたまたま中国人だったわけだが、その点は十二分に注意した。
今の女房は専業主婦の生活に我慢できず、仕事をしていないと気が狂ってしまうような性質だが、だからこそ日本では普通の会社に就職して働いて日本人並み以上の給料を貰って自立して生活できていた。
おかげで女房を中国に連れて来ても、専業主婦の退屈な生活に我慢できなくなったら勝手に職探ししてくれるので安心だが、その代わり夫に要求すべきことはきちんとする。
いまどき、可愛くご主人様に仕えてわがままも言わないようなお嫁さんを欲しいのならば、いっそ結婚などしない方が良いのだろう。

早々