前略 X様

成都から九寨溝に行く場合、お金持ちや外国人は飛行機に乗って行くが、普通の中国人ツアーはバスに乗っていく。
空港へ我々を迎えに来たバスとは違う立派なバス、中国津々浦々を走る廈門金龍のバスが朝早くホテルに我々を迎えに来た。
僕は200元だけ多く払って3つ星ホテルに泊まっていたが、このツアーの多数派は、その200元が惜しくて2つ星ホテルに泊まっているグループだ。
だから我々を乗せたバスは、次に成都市内の別の2つ星ホテルに向かう。

成都には、香港で見慣れた懐かしい2階建てバスが多く走っている。
古都の風格と言うべきか、大連開発区のようにゴミだらけではなく、綺麗な街だ。
古い町並みがそれほど残っているわけではないが、新しいビルほど中国風に屋根瓦を乗せた設計にしている。
観光客を強く意識した街造りには好感が持てる。

九寨溝は、成都盆地を西南から抱え込むように流れる長江の支流・岷江の源流のそのまた先にある。
成都の一番近くで岷江と接する所、それは都江堰である。
都江堰市は成都市の中の一つの行政区画、大連市にとっての瓦房店市と同じで、所謂二級市というやつである。
バスは高速道路に乗って一路都江堰市を目指す。

都江堰については後で詳しく書くつもりだが、この旅で僕が見たかったものの一つだ。
我々のツアーはしかし、今日中に九寨溝に少しでも近づかねばならないので、都江堰市を通り過ぎる。
都江堰市を過ぎると、バスはひたすら岷江に沿った一般道を、しかも桟道に近い山道をくねくねと上って行く。
1時間ほどして大きなダムが目に入る。

このダムは紫坪鋪ダムといい、現代中国人が建設した極め付けに愚かな建造物なのだが、そのことはまた後で都江堰について書く時に記す。
岷江に沿った桟道みたいな細い道は、所々に岩が転がっている。
日本ならば必ず金網で覆うか、コンクリートで固めなければならない所も、岩場が裸のままになっていて非常に危ない。
いつだったか、日本のどこかの短大の三国志ツアーのバスが剣閣で事故って大勢死んだが、多分こういう道をバスで走っていたのだろうな、と思い、背筋が寒くなる。

この道に入る観光バスの運転手は、普通のバスの運転手として10年間の修行をしなければならない。
それほどのテクニックと安全に対するセンスが求められる。
僕のツアーのバスの運転手は若そうに見えたが、かなりのテクニシャンであった。
前の車に隙あらばクラクションを派手に鳴らして次々と追い抜いていくが、何度も対向車と正面衝突しそうになり、恐ろしくて仕方なかった。

しかし慣れとは恐ろしいもので、何時間もこのバスに乗っている内に、旅疲れもようやく出て、冷や冷やさせられる運転もあまり怖くならなくなり、バスの揺れもいつしか心地よくなってきて眠り込んでしまった。
但しトイレ休憩の時には必ず目が覚めた。
年をとったせいか、あまり水を飲んでいなくても小便はよく出る。
バスガイドが「休憩所では果物を沢山買っておいた方が良いですよ」と言うので、蜜柑や柘榴を買ってバスの中で景色を見ながら食べていたせいかも知れないが、それにしても久しぶりに食べた大きな柘榴が美味かったこと。

昼食は江油に通じる道の分岐点がある茂県のホテルで食べた。
江油はかつて鄧艾が進んだ道の近くにあり、ホウ統が死んだ落鳳坡がある。
我々のバスは、三国志の英雄達もろくに来たことが無い少数民族の住む土地に分け入ろうとしていた。
それにしても、ただでさえ田舎の三ツ星ホテルの飯は不味いのに、四川の米の不味さがさらに追い討ちをかけていたので参った。

行けども行けども斜面の玉蜀黍畑、ということはまだここは漢民族の土地。
こういう土地の使い方をするから砂漠化は止まらぬし崖崩れも起きて、ますます人間が住める範囲が狭まるのに、漢民族は一向に懲りない。
しかし夕方になって少し暗くなると、そういう玉蜀黍畑も見えなくなってくる。
標準時刻が一つしかない広い中国で、ここは北京から見てかなり西にあるので、日の出の時刻も日の入りの時刻も遅い。

岷江もここまで上流に来ると川幅もかなり狭くなるが、流れは速い。
言い忘れたが、都江堰市を出てから既にパンダの故郷、「阿バイ・チベット族羌族自治州」に入っている。
四川省は半分くらい少数民族自治州だ。
辿り着いた川主寺の草原賓館の周りも、半分くらいチベット族の土産物のお店であった。

この辺で標高二千五百メートルは有るのではないか。
空気が薄く、寒い。
標高が高いので水は低い温度で沸騰し、只でさえ不味い四川の米に芯が残って更に不味い。
おまけにホテルは安普請でエレベータも無いのに重い荷物をエンヤコラ持って3階まで上らされ、薄い空気で息が切れた。

この日の夜は、一人120元を支払ってオプショナル・ツアーに参加。
ホテルからバスで5分ほど行くと、暗闇に突然チベット文化村が現れた。
先ずはチベット族が実際に暮らす古くて大きな民家を公開している所だと。
ガイド役のチベット族の住人によれば、その家はかつて川主寺の大地主だったらしいが、中共の土地開放で落ちぶれたそうな。

しかし自分の家を「文化財」として公開しているおかげか、今も暮らし向きは悪くなさそうだ。
大勢の漢民族の観光客が珍しがって写真を撮ったりビデオカメラを回したり。
女房は厨房にいたチベット族のお母さんと一緒に記念写真を撮ってもらったが、いいのかね、こんなんで。
チベット族の家は早々に退散して、外にある大きなテントの中に入る。

中央で焚き木をしながら、羊か山羊の丸焼きをクルクルと回している。
焚き木をしているから、テントの中はえらく煙たい。
おまけに僕らが座った場所は大きなスピーカーの前で、チベット族の民謡が大音響で五臓六腑に沁みる。
チベット族の酒を飲み、チベット族のミルクティーを飲みながら、丸焼きから切り取った肉の切れ端を唐辛子の粉をつけて食べ、チベット族の踊りや歌を見た。

チベット族の娘が歌いながら焚き木の前で踊る。
漢民族の観光客は大喜びで、女の子が歌いながら踊っているのに、お構いなしに近寄って次々と記念写真を撮る。
「歌っているので記念写真は後にして下さい」とアナウンスしても効果が無く、早い者勝ちである。
やがて歌い手が諦めると、大勢の観光客が一斉に女の子に群がって、上機嫌で一緒に無秩序に踊り出す。

中国人がこんなに踊りが好きだとは思わなかった。
それにしてもこんなオプショナル・ツアー、参加しなきゃ良かった、と思いつつテントを出て、バスに乗ってホテルに帰る。
三ツ星料金を払った客の部屋にだけ、エアコンが付けられていたが、エアコンのコントローラーが部屋に置いていない。
女房が機転を利かせて、フロアの服務員室からコントローラーを首尾よく「借りて」戻ってくる。

「お湯は時間帯によっては出ますが、シャワーは浴びない方が良いですよ」とガイドにアドバイスされていたので、風呂に入らず寝た。
疲れていたが、不思議と辛い感じはしない。
後で会社の中国人同僚に話したら、「毛家路さん偉いですねえ。普通の日本人は耐えられませんよ。」と妙に褒められた。
確かに、岷江沿いの休憩所にあるトイレは有料なのに掃除もしておらず非常に臭く、その上、大便所は低いレンガ塀で仕切られていて扉も無く、気張っているのが丸見えの中国の典型的な田舎のトイレばかりだから、おそらく普通の日本人は耐えられない。

日本の普通の若い女性は多分綺麗な個室トイレにしか入ったことが無いだろうから、こういう旅に出れば確実に便秘になる。
中国人のデリカシーの無さに神経を傷付けられ、不味いご飯と打ち寄せる恐怖感で疲労し、空気が薄くて寒いのに風呂にすら満足に入ることができずに気が狂うかも知れない。
だが僕は長年の大陸暮らしでそういうことがあまり気にならなくなっている。
それだけでも僕は、こうして岷江を伝って九寨溝を見に行く資格が有る、などと妙な自信に支えられつつ、女房と共に眠りに就いた。

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北朝鮮の核実験宣言に合わせて安倍首相が訪中、汚職追放の名の下に日本が嫌いな江沢民の上海閥粛清に成功した胡錦濤の中国は安倍首相を大歓迎し、次に韓国に来たところでドカン。
おかげで靖国問題は一時的にぶっ飛び、中国と関係改善できて尚且つ憲法改正への流れを失わないという韓国にとっては迷惑だが日中両国にとっては絶妙なタイミングの奉納芝居。
安倍首相も様々なアキレス腱を抱えているのに、北の将軍様のおかげで枕を高くして眠れる。
安倍さんのお家と仲良しの文教祖も北の出身だし、創価学会とも仲が良さそうだし、こりゃ北に足を向けられんな。

韓国はパンギムンに日韓関係の打開を期待しているらしいが、そりゃダメだよ、国連事務総長は世界一の板ばさみポストで何も出来ない。
それにしても田中宇の炯眼には畏れ入る。
結局小泉前首相の靖国参拝は信念でも心の問題でも何でもない、ただの政治的深謀遠慮だったわけだ。
立花隆先生も田中宇のコラムを少し読んだらどうかな。

さて僕はと言えば、所得倍増を目指す中共の手先の工会と春闘ならぬ秋闘の睨み合い。
東京オリンピックから大阪万博への流れと、北京オリンピックから上海万博への流れは瓜二つだ。
日本ならこの辺で石油ショックやドルショックが来るが、石油ショックは既に発生、進行中でも、この時あるを見越して先に資源を囲い込んだ統制経済の中国はビクともせぬ。
北京はよほど日本の軌跡を勉強したのか、ここまではかなりまともに考えて乗り切っているので、来るべき人民元切り上げも思ったより賢く乗り切れるかも知れぬ。

問題はその後の話で、高度成長期を大した破綻も無く乗り切った後こそ真のオリジナリティが必要になる。
日本は幸いにも日本のブランド、日本の価値を確立できて、現代日本文明を亜文明から文明に昇格させることに成功した。
中国がそれを成し遂げるには、まず海賊版の文化を一掃する必要があるが、それは無理だ。
だがそれができなければ、中国は何時まで経っても二流国のまま、往時の栄光を取り戻すことはできぬ。

話の始めは今日の夕食時、女房が「中国の本って面白くないんだよね」と言い出したこと。
日本なら会計の話を「さおだけ屋は何故つぶれないか」などと面白おかしく書けるのに、中国のビジネス本は大学の先生が書いた教科書のような本ばかり。
何でかと言えば、それは言論統制が行き届いていることもさることながら、幾ら面白い本を書いても海賊版が出るので物書きが儲からないから。
「あんた、そういう事こそブログに一生懸命書いてよ!」とおっしゃる。

「何で?」
「中国にはね、まだ何にも知らない人がいっぱいいるのよ。」
「だって中国人は俺のブログ読まねえじゃん?」
「読むよ。書いているうちに、日本語を読める中国人がきっと読んでくれる。」

「だって俺、中国の悪口ばっか書いているのに、中国人が読んだら腹立つだけじゃん?」
「腹が立っても、そこに真実が有れば、きっと心を動かすよ。そしてわかってくれる。」
じゃあ中共の為に言うんじゃなくて、僕の大好きな中国人と中国の為にもう一度書くが、もっとお行儀良くしないと更に馬鹿にされるだけだぞ。
馬鹿にされるだけではなくて、資本主義市場経済には一種のプロテスタンティズムが必要なんだから、中国という国は、これ以上豊かになることもできぬ。

マナーもルールもへったくれもない、地球は自分を軸に回っている。
そういうことでは自分も周囲も不愉快なだけで、最終的にコストばかりかかる昔の中国社会に逆戻りだ。
それでもいい、自分さえ良ければ、と思う連中が大多数である限り、中国は何時まで経っても日本にも欧米にも追いつけない。
でもさ、現実の話、本心は「中国人が外国人にどう見られようと知ったことか、中国なんて国はどうでもいい、自分さえ金持ちになって良い気分ならば」と思っている奴が多数派なんだから、しょうがねえじゃん。

日本帰りの女房のような中国人は、よく魯迅のようなことを言うが、魯迅の書いたものなんぞ誰もまともに覚えておらず、ひょっとすると読んでもいない。
女房からして、「魯迅も私と同じような事を言ってたの?びっくり。」などと言う始末だ。
警世、憂国の国士は、太古の昔から中国にはそれこそゴマンといた。
中国には素晴らしい古人の言葉が多く残ると雖も、人々が好んで口にするのは決まって格好をつけるための騙り文句。

早々