前略 X様


最近、DVDの「康煕王朝」を借りて毎日見ていて、殆どニュース番組を見ていなかった。
主題歌の「向天再借五百年」のメロディとサビの「♪我真的還想再活五百年」という部分が耳について離れない。
中国の歴史大河ドラマは好きなのだが、これまでまとめて見る機会があったのは湖北省電子台の「諸葛亮」と中央電子台の「三国志」、それに「末代皇帝」くらい。
奥さんが日本人ならば、余程そういうのが趣味として好きだというのでなければ「康煕王朝」全五十話なんて二人で見ることは出来なかったろう。


だが今の奥さんは中国人なので、「康煕王朝」は喜んで一緒に見て貰えて嬉しかった。
実際、このドラマは放映されていた当時、大陸で一大ブームを巻き起こした。
僕が香港に住んでいた頃、尖沙咀の商務院書館に行くと康煕帝に関する本ばかりが店頭に並べられていた時期があった。
その時に見ておけば良かったのだが、仕事が忙しくて見る閑がなかった。


この大河ドラマは、いわば現代の「演義」である。
史実よりもドラマ性をを非常に重視してストーリーが組み立てられている。
重視されたドラマは二本の柱を持つ。
一つは言うまでもなくあからさまに政治的な意図を持ったそれで、もう一つは60年もの期間、絶対者として大陸に君臨した一人の男の孤独と苦しみである。


「康煕王朝」は中共の政治的な方針を文字通り絵に描いたドラマとして非常に興味深い。
特に台湾を征服し、統治するまでの話は、演義的ドラマ的に改変したというよりも、歴史歪曲と言って良いレベルである。
中共がこの先台湾をどのように扱って行きたいと思っているのかが良くわかる。
それを象徴的に示しているのが、ドラマの中で延平王鄭経が自決するシーンである。


国姓爺鄭成功の息子鄭経は、彼の生涯の中で康煕帝に屈服することがなかった。
また、満州族という少数民族の王朝だった清は、前朝への忠誠心を三代にわたって保ち続けた台湾の鄭家を、台湾征服後に北京で優遇した。
朝鮮に対する太宗ホンタイジの態度と同じで、清朝は気骨のある相手を憎まず敬意を持って遇したのである。
そしてドラマの中では「台湾奪還」と表現していたが、元々台湾が満州族王朝のものだった時代は一切無いので、単に領土を広げただけに過ぎなかった。


第一、鄭氏台湾は呉三桂ら三藩と踵を接して大陸反攻を開始したのであり、三藩の乱が片付いてから台湾が暴れ出したのではない。
そしてドラマでは台湾接収後、康煕帝は幼馴染の腹心・魏東亭を県令として派遣し、東亭老後は四阿哥(後の雍正帝)の家庭教師でもあった閣臣李光地を派遣した事になっているが、僕は「それはないだろう」と思って苦笑した。
史実では台湾接収後、清王朝は長く台湾を中途半端に統治した為に民乱が多発し、台湾放棄論も幾度と無く出た。
だから清朝末期に日本に負けた時、アッサリと台湾を日本に譲ってしまえたのである。


康煕帝が南東沿海地域を閉鎖して台湾経済を疲弊させ、漢族将軍を派遣して一気に軍事的解決を図ったというのは、中共の台湾本省人に対する軍事的な脅しと同じである。
康煕帝が台湾に重臣を派遣して丁寧な統治体制を敷いた、というのは、台湾外省人に対する中共の政治的な呼びかけ以外何物でもない。
僕はドラマの中で康煕帝がどうやって台湾問題を解決するのかを非常に興味を持って見ていたが、余りにも現代の中共の方針通りで知恵が無く少々がっかりした。
そう言うと横で女房が「当たり前じゃない。そうじゃないとこんなドラマを作れないわよ。」と言った。


さて、極端なマキャベリストであった康煕帝は、三藩やガルダン汗のような外敵だけではなく、索額図や明珠のような権臣も完全に制し、晩年は敵らしい敵が周囲にいなくなってしまった上に、若い頃から仕えてきた臣下や后妃達も次々にいなくなってしまい、孤独で猜疑心に満ちた陰惨な日々を暮らす事になる。
そうした中で康煕六十年の仲秋節を迎え、盛大な宴会が開かれている最中に最愛の妃だった容妃も便器を洗う奴隷として生涯を閉じる。
康煕帝の唯一の救いは次代を担う子供達にのみあった。
133人もの子孫に囲まれた老皇帝は、幼馴染の魏東亭の孫を自分の孫の一人・弘暦に紹介して遊び相手とさせた。


愛新覚羅弘暦は後の乾隆帝である。
乾隆帝はこの日から73年後、祖父の康煕帝のこの宴の日を思い出して、その治世を60年までと定め、自ら退位することになる。
近世中国人が憧れて夢にまで見た「三世の春」が、この宴の場面に凝縮されていたのを感じ、僕は感動した。
女房はなぜか涙を流していた。


偉大な皇帝は父皇帝に見放されたような子供として即位し、祖母に助けられて成長し、少数民族の首長でありながら最強の中華帝国を造り上げ、人間として理解してくれる生者に看取られる事無く突然死んだ。
政治的な面に胡散臭い部分が多かったが、大河ドラマとして出色の出来であった。
中国人が夢中になって見ていたのも当然だろう。
総じて、中国史上最高の名君の知恵と勇気と孤独が描かれた「康煕王朝」は、一度見終わっても何度も繰り返し見たくなる良いドラマだった。


早々