前略 X様

「第一読者」に「つまらん。ウィットもユーモアも無い、タダの断定口調だけじゃ『ああそうですか』で終わりだよ。」と言われてしまった。
そうかも知れないとは思っていたが、やはりそうか。
目指しているのは「論語」ではなくて「韓非子」なのだから目的が違えばつまらないのは当然、と思っていたが、本当に全然つまらないのでは誰も読んでくれないので、ここでわざわざ書く意味が無い。
韓非子の場合は面白いたとえ話や歴史的な教訓をふんだんに盛り込んでいるので、別に始皇帝ばりの法家でなくても読んで面白いのだが、このページでそんなに短く面白い話を毎回書けるだろうか。(いや、書けない。反語。)

さて、プライドの高い中国人とつきあう方法の続きである。
僕が中国に来たばかりの頃、状況を改善する為に現状を先ず調査しようとして何度も壁にぶち当たった。
現場で何故こんなバカなことが起こるのか、と思って、「正直に話してくれ、別に君の責任を問おうというのではない。ただ、真実が知りたいだけなんだ!」
・・・と中国人現地スタッフに熱っぽく話せば話すほど、真実から遠ざかって行くのである。

最初は単に、「自分の責任を認めるのが文字通り死ぬほど嫌なんだろう」と思っていた。
僕が仕事を教えた連中は、みんな文革がどんなものだったかをよく知っている世代だったから、僕が幾ら「罪を問わない。真実が知りたい。」と言っても、クメール・ルージュが処刑する人民を選び出す時の手段と同じようなものだと感じたのかもしれない、と思った。
簡単に言えば、「そんなこと言って、騙されないぞ、きっと後でつるし上げるつもりだ」と思われていたのではないか、と僕は思ったのだ。
そう思えばこそ、僕はますます「誓って君に責任を問おうというものではないっ!」と通訳に向かってよく叫んだ。

今ならよくわかるが、当時はわけがわからなかったから、よくこういう勘違いをした。
彼らは、単に自分の失敗や責任を認めると面子が潰れるから正直に事情を話す事に抵抗していたわけではない。
僕は当時、そういうプライドの問題に帰する問題と考えていたが、そうではなくて、単純に、必死になって真実を掴もうとする僕の姿勢を見て、その先を勝手に想像して怖がっていたのだろうと思う。
そして肝心の話し合いの中身は、要は客観的事実の存在を認めるか認めないかという禅問答を延々としていたようなものだった。

こういうイライラする状況を打開する方法は幾つか有るが、ここでは僕が実際にどう考え、どう克服していったかについて書いていく。
先ず、僕は下手なりに中国語で説明しようと試みた。
中国人は反日教育を受けているから、幾ら目の前の日本人がタダの外国人だと思っても、外国人慣れ、というか日本人慣れしていなければ、日本人に不信感と偏見を持って接しているのは当たり前だ。
その不信感は通訳を介す事によって増幅する、ということが重要なポイントである。

だが中国語で自分の言いたいことを伝えられるようになるには時間がかかる。
すぐに何とかしなければならない時には別の方法が必要だ。
第一に、心を落ち着けてゆっくりと、諭すように質問しなければならないのは言うまでもない。
だが最初はそう心懸けていても、相手が自分の答えて欲しいことにてんで答える気が無いと感じるとやはりイライラしてくる。

すぐに現状を改善しようとするなら、昔のERPのように標準手法を頭ごなしに押し付けるという方法もある。
実際、この方法が中国の工場では有効な場合があるが、頭ごなしが現場の反感を買いやすいのは世界共通の心理である。
では一体どうするのがベターなのだろうか。
次回は、こういう場合に中国人に対してどのようにインタビューすれば、日本人が真実を聞き出す事ができるのかについて更に深く考えてみたい。

早々