お行儀を気にしないことと自分に勝つための克己を考察した。この2つは実際は両立しにくい気がする。すなわち他を思い利他に徹することは、煩悩に勝つことに繋がるが、それは正に行儀が良いことに繋がることが多い。行儀を最優先に考えると、窮屈になることも多いだろう。お行儀を気にしないというのは自然体でいるということであり、自分に勝つために自分に勝つという、腕の曲がらない方向に曲げられるよう鍛錬すること、自然体とは180度違う関係にあるのかもしれない。

この2つをWin-winの関係にするにはもう一つの軸が必要だ。


それは体験に価値を置き、人生を味わうということだと考える。体験するというのは、自我や煩悩に左右されない。どんなに煩悩に執着する人でも、病苦を体験することになる。だから、自分の利のためにどんな努力も惜しみない人でも、その利を完全に打ち消すような、苦の体験が必ず訪れる。しかしそのようなネガティブな体験さえも味わう事ができて、人生の中で価値ある体験だと考えることが出来れば、克己というかなり修行が必要な目標があっても、すんなり素直に受け入れることはできないか。このパラダイムシフトが実現できれば、自分の利にならない事は少しでも省こうとするメンタリティから、積極的に利他を行い、それを「行儀が良いこと」とは考えない自分を獲得できないか?


では「体験に価値を置き、人生を味わう」と正反対な考えはなんだろう?それは「結果に価値を置き、人生で勝つ」ということになる。まさにビジネスにおいて求められていることだ。それは現世の生死の世界においては、生きていくために必要な考えだ。しかし、それは自分に勝つための克己とはならないし、行儀の観点からも心身が弱ってくると、自然体でできるとは言えなくなる。


ネットすると「体験に価値を置き人生を味わうことで行儀を気にせずに自然体で、自らに勝つために自分を進化させる」そんな目標が見えてくる。