脳内の「心」の自己組織化の円環は、十二因縁のようだと、脳外科医の浅野孝雄氏や数学者の須田一郎氏は説いている。

確かに、「心」は心の中のカオスの状態から、心が発生し、アトラクターとして収束しては、またそれが連想のように転移して、心としてつながるが別のシーンとして自己組織化が起こり、自我として一連の心が出来上がっている気がする。しかしながら、その秩序は頑強でなく、「カオスの淵」で、入力と出力の微妙なバランスのもとに、動的平衡を保っているものである。特に初期の状態では、できるだけ入力のエネルギーの変異を最小化して、変化に柔軟に対応することで、長く秩序を保てるよう努力する。しかしながらエネルギー第二法則から秩序に綻びが生じてくると、環境の変化に耐えられなくなって、やがては崩壊に向かう。崩壊する際も、なんとか秩序を維持しようと、入力の変化に見合う沢山のエントロピーを排出して、秩序を維持しようとあがく。それは、すなわち苦であり、エントロピーの排出とは煩悩である。エントロピーの排出という煩悩をできるだけ維持しようと、秩序を保とうとするわけである。生死で考えれば、前半の自己組織化からポジティブフィードバックにより、入力エネルギー変異を最小化しながら、エントロピー排出と秩序の維持の両方を実現している姿は、「生」であり、後半のネガティブフィードバックの中で、なんとかエントロピーを排出することで、避けられない変化に対応しようする姿は「死」である。そして「死」の後には、まっさらなカオスがまた実現して、新しい自己組織化が起こる。真っさらと言ったが、実際は、カオスの遍歴をスナップショットのように記憶に留めることができるから、人間はそこから過去の「心」を一部ではあるが思い出してそれを入力に、自己組織化の続きを始めることができる。

 

このように「心」は自己組織化→秩序の維持→秩序の崩壊→自己組織化という円環を、毎日繰り返しながら存在している。

また、「心」というミクロのレベルではなく「自我」という人生全体を秩序として捉えれば、全く同じような、

自己組織化→秩序の維持→秩序の崩壊→自己組織化 という円環を、生殖という行為を通じて1世代でなく2世代をかけて実現しているといえる。それを輪廻と言っても良いかもしれないが、それは本来の十二因縁の指し示す「円環」である。このように自己組織化の円環は、階層化され、マクロレベル、ミクロレベルとそれぞれのレベルで起きている。

 

さてこのような摂理がわかった上で、どう生きればよいのだろうか?これ一つ言えることは、自分がどのレベルにいるのかを理解するだろう。私(私の自我)は、脳のシナップスのレベルにいるわけでもなく、複数世代をまたがった、人間という種の円環の当事者でもない。私は、その間にある、私という自我(仮想的なもの)である。私という自我がこの自己組織化の円環を丸ごと体験できるのは、「心」のレベルではないか? 私は「私の心」という自己組織化の当事者であり、それを育てたり、切り捨てたり、その心を忘れたり、幾度も思い出したり、その円環を丸ごと体験し、「寝る」ことでリセットし、行動する。今を生きることが、やはり正解だということになるだろう。