人間どんなことであれ知ろうとする知識欲がある。

それは、散逸構造が自己組織化しようとしていると言い換えることができないか?

新たな知識によって、ネゲントロピーを貯める、散逸構造を保つ、そういう新しい散逸構造を生み出していないか?


このブログもある意味バーチャルな散逸構造である。様々な情報を私が集めてきて、そこで脳内に新しい生成モデルを考え出して紹介する。それが他の人の脳内モデルの何らかの影響を与えているとしたら、このブログという散逸構造がネゲントロピーを生み出していると言える。新しい考えは自己組織化したものと言えるだろう


人間は熱力学的な散逸構造だけでなく、コンピュータのように仮想的な散逸構造を、刹那に考え出すことができる。そしてそこで生まれた情報ネゲントロピー(それが知識であろう)を記憶に貯めたり、ネット上にためたり、それを共有することで新たな散逸構造を形成したりできる。


このようなサンドボックスを脳内に持てる、自由意志を持って自我が新しい散逸構造(仮想)を生み出すかとができるので、知の探求が可能である。それが人間を人間たらしめるポイントだし、なぜ人間が知の探求をするのか?それは散逸構造は自己組織化するから当たり前だと言えるのかもしれない。