戦国大名の人生は常に非平衡状態にありながら、できるだけネゲントロピーを我がものにするために、他を滅ぼし、生き残るまでに戦争を続ける。戦争はエントロピーの最大限の放出と言える訳で、全体系では必要もない火力や弓矢によるエントロピー放出を生む。戦国時代のGDPからすれば過分のエネルギーをおしげもなく消費し、戦略のために婚姻、子づくりをする。全ての行為が非平衡状態の高い散逸構造が、絶えず戦略を変えて自己組織化する様を表している。

最後まで生き残った徳川家康が、その頂点だとしたら、節目節目の敗戦や勝利で、目まぐるしく戦略を新しい散逸構造を生み出した、その自己組織能力が最も高かったと言えるであろう。


そのような最大限のネゲントロピーの横取りと最大限のエントロピーの放出をやめたのはやはり徳川家康と言える。それはそれぞれの戦国大名ではなく日本全体を見た時に、農民から過分の年貢というネゲントロピーの搾取が無駄なエントロピー排出を生んだだけであるからだ。

平和というのは戦時に比べて非平衡の度合いは低く,散逸構造の自己組織化の活性は低いと言えるが、その分無駄なエントロピーを排出しないエコなモデルである。自然環境というマイルドな非平衡状態に沿った散逸構造を形成することで、入力となる変分自由エネルギーを最小化できる。それは戦時のように短期間での散逸するエントロピーの最大化にはならなくとも、長期間持続可能な散逸構造に繫がる。それが300年持った江戸幕府となった。

そしてそこから新しく自己組織化した散逸構造が明治維新と言うことができる。列強の訪日という環境変化が新たな非平衡状態を生んだからである。