エントロピーは増大する。それは熱力学第二法則であったが、「非平衡状態にある開放系において、エントロピー生成が最大化するように自己組織化が起きる」というのが、エントロピー生成最大化原理になる。

 

 

 

これは、生物のような非平衡系における散逸構造では、その秩序を守るために、ネゲントロピーの状態をキープして生命を維持する。それは、すなわち出来るだけ熱力学第二則によって生まれたエントロピーを出来るだけ排出して、ネゲントロピーの状態を保つことにある。だから、生成エントロピーを最大化するように、散逸構造は自己組織化するわけだ。

 

ところが一方で、非平衡系における散逸構造は、取り入れる自由エネルギーの変位を最小化しようとする、自由エネルギー原理も成り立つ。その理由は環境の大きな変化に、散逸構造が適応するために、常に適応のコストを最小化しようとするからだ。地球に巨大な隕石が衝突するような大きな地球環境の変化があっても、生き残った生物は自由エネルギーの変位を最小化できたため、環境の変位も、影響を最小限にでき生き残ることができた。爬虫類のような変温動物より哺乳類のような常温動物の方が、自由エネルギー原理上は優れているし、恐竜のような巨大な生き物より、ネズミのような生き物の方がやはり、自由エネルギー原理上優れている。

 

さて、エントロピー最大化原理と自由エネルギー原理は相矛盾する側面がある。すなわち排出するエントロピーを最大化しようとすると、取り入れる自由エネルギーも多くなる。ため込むネゲントロピーには限界があるからだ。そうすると、自由エネルギー原理が成り立たなくなる。逆に取り込む自由エネルギーを最小化したら、排出できるエントロピーも小さくならざる負えない。

 

だから、それぞれの生物はそのバランスポイントで進化してきた。さて、このトレードオフから逃れることができる生物がいる。それは人間だ。人間は、道具や機械を使い、生活を組み立てる。例えば、衣服をまとい雨風しのぐ家に住み、暖房器具をもつことで、動物のような体毛を持たなくてもよい体に進化した(体毛は退化した)。自らの身体で、寒さをしのぐだけのカロリーを摂取しなくとも、道具で環境(室温)を一定化し、ネゲントロピー(秩序)を保つことで、最小の自由エネルギー消費と、必要以上のエントロピーの排出(衣服の製造、化石燃料の燃焼にかかるエントロピーの増大)を実現できた。この二つを実現することが「欲」に繋がるとしたら、正にこの2つの原理に従っていることになる。同じことが、道具や機械(モノ)だけでなく、他人(人間)にも言える。協力し、役割分担して、集団で競い、社会を作ることによって、個人が消費する自由エネルギーを最小化して、排出するエントロピーを最大化した。現代人が、仕事が細分化して、1日たりとも社会の協力がなければ生きられないことも、古代人より何百倍もエントロピーを排出し、一方でカロリー摂取過多で肥満が問題になることも正にこの原理の現れということができる。弊害として他人やモノに依存するための苦を生み、飽くなきネゲントロピーの追求(暴走)や個の構造の弱体化を生んだ。それは道具や他人なしの個としてのバランスポイントから逸脱して、少ない自由エネルギー変位にて、ネゲントロピーをため込み、沢山のエントロピーを排出しているからだ。もし、道具や機械、コンピュータや社会抜きの孤独な人間が生きていくとするならば、個人としてはもっと大きな自由エネルギーを取り込み、もっと少ないエントロピーの排出になる(原始人の生き方)と考える。それは動物の生き方の延長線上であり、それが人間生身のバランスポイントのはずである。

 

しかしながら体毛が退化したように、人間がモノや社会をもっと活用するよう脳ばかりが発達して、物理的な身体能力がどんどん退化してしまえば(サイボーグ化した未来の人間像を想定すれば)、モノや社会を前提とした、バランスポイントに変化するかもしれない。でも、それは、自然が生んだ自己組織化した散逸構造でないことを肝に銘ずる必要がある。自己組織化が生んだ適応能力が失われるしたら、それは人間の暗い未来に繋がるかもしれない。