自己組織化とは散逸構造が、非平衡状態にあるときに、自律的に起こる物理現象である。

人間の脳も散逸構造であり、人間という生物も脳を部分とする散逸構造である。

人間という散逸構造が、自由エネルギー原理に従って、入力となる自由エネルギーのコストを最小化しながら、エントロピーを輩出し続けるために、脳を使い推論し、予測して、できるだけ環境の変化に適用できるように行動する。

 

脳内では、自分自身(主観)や外の環境、すなわち、他人、社会、自然環境などを内部生成モデルとして持って、それを使って仮想的なシミュレーションを行い、推論する。その内部モデルは時々刻々と変化するわけで、自分という散逸構造の中に、動的に内部生成モデルを創造する。生産機械が機械を作るよう、コンピュータ上で様々なアプリケーションが稼働できるよう、人間の脳内に、生成モデルを作り出す工場によって、環境に応じた生成モデルが作り出され、シミュレーションが行われる。この散逸構造による散逸構造の生産は、知能を高度化させる。そして、シミュレーションと予測により、物理的な行動による熱力学的エントロピー消費を最小化できる。脳内の生成モデルは、ソフトウエアというかファームウエアのようなもので、生成モデル(知識)と推論エンジンというようなシステムが出来ているから、様々な生成モデルを、環境の変化に合わせて作り、使うことができる。この柔軟性が、自己組織化の論理の上で実現されるとしたならば、それは、自由意志をもつのに近い、柔軟性とリアルタイム性を持っていることになる。

生物はこのように、情報を、知識モデルを保管する記憶媒体を持ったことで、散逸構造の柔軟性を1レベル上げることに成功した。そして自我のような高次元の仮想環境を、あたかも現実世界に人間がいるように持つことに成功した。

 

我々がモニターを目で見て、タイピングし、文章を書く。その行為は人間の自我という閉じた実行環境を形成している。それは散逸構造であるから、今までできなかったものができるようなり、そのように自律的に成長する。コンピュータにおけるOSのバージョンアップが、刹那に起こり、今までできなかったことができるようになる様に似ている。そうやって柔軟に進化したり、環境の変化に適応したりするのは、自己組織化の極致といえないか? 自由意志を実現するプラットフォームを、人間は得ることができたことになる。すなわち、生命の倫理に背いて、自らを殺したり、権力に溺れて大量殺りくを行ったりできることになった。仮想世界における自己組織化を獲得することで、コンピュータ上で自由にアプリケーションを開発できるように、人間は自由意志を手に入れたということになるだろう。