人間の脳は酸素と糖をインプットに、その供給を1秒たりとも欠かさずに受けることでその機能を保っている。機能を保つとは、まず記憶を保つこと、そして推論してアウトプット(認識)を出すことであるが、脳という静的な構造が、一生を通じてあるわけではない。脳といっても散逸構造であるから、脳内で非平衡状態を保ち、常に自己組織化が可能な環境を保ちながら、酸素と糖を吸収する分、不要となった(酸化した)老廃物を常に排出し、動的平衡を保っている。ということは、記憶という静的なものが脳内に存在するわけではなく、常に入れ替わるタンパク質の構造の中で、記憶という構造を、破壊・再構築を繰り返しながら保っている。

原子レベルで考えれば、脳は数ヶ月で全部入れ替わるそうである。

 

ほっておけば、情報エントロピー、熱力学的エントロピーが増大するところを、絶え間ない原子の入れ替えと自己組織化によって情報を引き継ぎ、情報ネゲントロピーを保っているのである。記憶には長期記憶と短期記憶があり、自我からみれば、それが一定期間静的に存在するように感じているが、そうではなく、今思い出せる、遠い過去の記憶は、それが過去からずっと存在するのではなく、一旦できた神経回路(ニューラルネット)に電気を流すことによって、再認識されるものなのだという。従って、想い出す時に新しい記憶を作る。それは過去に思った事象とは全く異なる、新しい記憶を元にした認識であるそうだ。忘れるということを考えれば、それがうまくいかないところを、そして脳のキャパシティを越える記憶の保持を、うまい具合で折り合いをつけていることがわかる。

 

人間の脳が散逸構造であり、絶え間ない新しい自己組織化によってその構造を保ち、環境に適応していると考えるとさまざまな「生きるヒント」になると考える。

まずは、執着をなくすという点にある。情報エントロピーの増大に抗うということは、執着はマイナスに働く。執着しても、秒単位で増えようとする情報エントロピーに抗うことはできないのである。それは、ある意味、諸行無常の理解ということになる。抗うのではなく、常に情報エントロピーを排出する(これは「諦める」ということである)、そして最小のインプットから新しい自己組織化を促すということである。

 

ここで脳における「自己組織化」を考える。それは固定観念によって形成されている脳内の認識モデル(生成モデル)を破壊しながら(諦めながら)、常に新しい環境に適応するような新しい生成モデルを作ってゆくことである。絶えず変わる自分の環境と自分自身をモデリングして脳内に持っておき、それを常に刷新できれば、執着することなく新しい環境に、最短距離で適応できる。そのためには、執着する自我から解放され(諸法無我)、環境適応への最短距離を実現できる。またそのような時事刻々変わる柔軟な生成モデルを実現するためには、そのメタモデルとして、地球レベルの環境、社会レベルの環境、個人レベルの環境に柔軟に適応するような、認識モデルを自由に変化できる散財構造(それが一切皆空といえる)を持つ必要があるのではないか?

 

そのような構造を自己組織化するような心の持ちようが実現できれば、情報エントロピーの増大に無理なく抗える、すなわち自由エネルギー原理にうまく添った人生が送れるということになると思う。