散逸適応とはジェレミー・イングランドが提唱する物理理論で、非平衡系において自己組織化する構造では、エントロピーの散逸を最も効率よく行うように、構造が適応する(変化する)というものである。

例えば台風という散逸構造においては、常に自由エネルギーを取り込み、雨風という形で外部に散逸している。そのときにその台風の渦が最も効率的にエネルギーを散逸するよう風向や渦の移動が起きる。


川の流れに例えると、流れに逆らってボートを漕ぐよりも、流れにまかせたほうがエネルギー効率がいい。同様に、粒子は外界からのエネルギーの流れに逆らうことなく共振するとき、より多くのエネルギーを周囲に散逸することができる。つまり、エネルギーの流れの方向に沿うように原子の塊は自ずと向きを変えるように構造変化を起こすのだ。


これは生物における自由エネルギー原理と同値ではないか?生物は、自由エネルギー原理に従い、その自由エネルギー変位を最小化するように、情報収集と推論と実行を繰り返す。それはモノが物理的に散逸適応し、自己組織の構造を変える、一つの形態と考えることはできないか?

生物も特別なモノではなく、物理法則に従っている複雑なシステムであるとしたならば、この2つの関連性は説明出来る。


人間が道具を使って、自由エネルギー原理を実現しようとするのも、自己組織化する散逸構造が、物理法則に従って散逸適用しようとしたと言う事ならば、人間の欲望も、一つの物理法則としてて説明出来るのかもしれない。


人間が他人とモノを使ってネゲントロピーを貯めようとする仕組みも、複雑な散逸構造と考え、その追求を散逸適用の一つと考えることができるのかもしれない。


また社会や地球規模の散逸構造は、個の人間にとっては、倫理とか慈愛という散逸適応の方向性を生むが、それは個人の自利、個人レベルの散逸構造の適応の方向性、則ち煩悩の追求とと必ずしも一致しない。そこに苦が生ずるが、いずれにしても、効率的なネゲントロピーの散逸を実現しようとしているだけであることを常に意識するべきであろう。そうすれば、煩悩と慈愛を、効率的な自由エネルギーの散逸という一つの軸で考えることができる。