前回、生物はみな自由エネルギー原理に従っているという話をした。

 

すなわち変化する地球環境に適応し続けるには、環境のバイアスと生物の内部構造バイアスを一致させないと、その変化のバイアスに耐えられなくなり、絶滅したりするからである。地球生物も、何度かほぼ全ての種が絶滅の危機に瀕したこともあると聞く。だから、地球環境の非平衡状態の変化を、いち早く察知、予測してそれに基づいて行動している。

 

動物が、必要以上に食べないし、必要な時のみ生殖し、人間のように無限の煩悩を持たないのは、自由エネルギー原理に従っているといえる。それはなんとか地球環境や他の生物が仕掛ける弱肉強食の自然淘汰のレースに適応しようとするだけで精一杯であるともいえるだろう。

 

それに比べて人間は、必要以上食べて肥満になり、生殖も避妊などコントロールしながら、石油、石炭、ウラン、鉄鉱石を掘りモノ(機械)を使って、必要以上の自由エネルギーを確保する。共同体や社会を作り、言葉と文字で知恵を共有しながら、地球の環境バイアス以上のネゲントロピーを確保し、そこからエントロピーを排出する。

それは、自由エネルギーの必要量を大きく超えているので、それは自由エネルギー原理に従っていないといえるのではないか?

 

そういう人間も生まれた時は、道具を使う知恵も、他人と協力するコミュニケーション力もない。すなわち、自由エネルギー原理に従って、動物のように自由エネルギー原理という決定論に従って、行動している。

 

それが道具を使い、またコミュニテイ・社会活動に参画できるようになると、自我が発達し、道具や他人、コミュニティ、社会を自分の中でモデル化して把握することができる。すなわち、自分の状態を「自我」という内部モデル(生成モデル)を使って把握し、自由エネルギー原理に従って、推論し行動に移しているだけでなく、他の状態(他人、モノ、社会・・・)を客観として、内部モデルとして把握している。すなわち自分の中の散逸構造を内部モデルとして脳内にデジタルツイン化しているだけでなく、他人とモノと自分が織りなす縁起そのものを、内部モデル(生成モデル)としてデジタルツイン化して持っており、それを使って、推論、行動につなげている。

それは、地球環境という非平衡状態と同じバイアスと平衡状態になるよう、散逸構造を適用させているのではなく、それより遥かに大きな自由エネルギーを自分だけでなく、他人や共同体、モノ(機械)に消費させることによって、脳内のデジタルツイン(縁起全体の内部モデル)を満足させることができる。それによって、自由エネルギー原理から解放され、自由エネルギーの「遊び」を活用することで、偶然論的な、「自由意志」を持つことができるようになるのではないか?

 

しかしながら、環境バイアスよりも遥かに大きな自由エネルギーを確保してしまうと、やがてそれが地球環境の変化につながる。地球温暖化のように、人間の活動が自然環境の変化を及ぼすようになってしまう。そう考えれば、今一度人類が自由エネルギー原理に忠実に生きることを考えないといけないのかもしれない。しかし、人間が偶然論、すなわち自由意志を持つことをやめない限り、人間は自由エネルギー原理に忠実に行動することはないであろう。しかし、その勝手ともいえる人間の行動が、エントロピーの増大という、逆らえない地球や太陽系の消滅を促進していることは、理解しておくべきであろう。