2022/7/5 追記

無明

悟りの境地という確固たるものが存在しなければ、それに目覚めようとも目覚めていないという迷いも存在しない。

亦無無明尽

また悟りの境地という確固たるものはないと同時に、それが全く存在しないということもないのであれば、どこかで目覚めようとする意識が生まれるから、迷いがなくなることはない。すなわち無明は存在するとも存在しないとも言えない。

乃至無老死

こうして確固たる無明(迷い)がなければ、それを因にして生ずる、確固たる老いや死も存在しない。十二因縁で述べられるように、無明がなければ、業(行)や意識(識)もなく、感受もなく、そこから得られる感覚(触)もなく、感覚への執着(取)もなく、渇愛(愛)もなく、有、生がなく、苦もなく、最終的に、老死もないということになる。全ては、確固たるものがあると思う無知(無明)に発して、我を思う我見や身見を持ってしまうからである。

 

亦無老死尽

また、無明(迷い)という確固たるものがないと同時に、無明(迷い)は全く存在しないということも無いのであれば、その迷いが因となり、業が生まれ、識が生まれ、名色が生まれ、受が生まれ、触が生まれ、取が生まれ、愛が生まれ、有がうまれ、生が生まれ、結果苦が生まれ、最後に老死が生まれる。よって老死は存在しないとは言えない。すなわち老死は存在するとも存在しないとも言えない。