7/5/2022 更新

不異空空不異色

色(物質)は有るようで、いつかはなくなってしまうとすれば、ないという要素があるではないか?無い(空)と違わないといえるのでじゃないか?  無いと思っているものは、実は物質など有ると思っているものと同じではないか? あると思ったものも、実は無い要素があるではないか? そう思えば、ないと思ったものも、有るとたいして変わらないのではないか?

 

モノが「有る」とは、「有る」と「無い」の分別のない世界から、二元論的に「有る」と「無い」を分けて初めて生まれたものではないか?だから、有る=「色」は、一元論である「空」から生まれたモノであり、「空」を介して「無い」と繋がっているのではないか?

 

色即是空空即是色

よくよく深く考えれば、色(物質)は、あるわけではなく、有るとも無いとも言えない(空)と全く同値である。すなわち物質的な生死の世界は、実はその苦から開放されて涅槃の世界と同値であり、涅槃から般若波羅蜜多の智慧を与えることで、無明を解消する。

 

有るとも無いとも言えない(空)とは、色(物質)の特性そのものであり、全く同値である。すなわち涅槃の空の世界を、生死の世界に適用することで、慈悲をもって成仏へ導くことができる。

 

受想行識亦復如是

色(物質)と同様に精神的な構成要素である受、想、行、識も同様に、空(有るとも無いとも言えない)と同値である。

 

物質面、精神面、人間が客観からの入力を主観的に認識する全てプロセスはあるようでない。なにかアートマンのように絶対的にあるものではない。なぜなら人間は相対的にしか客観と主観に取り入れることはできないからである。だから、その主観は無いとも言えないが、有るとも言えない。それを空と呼べば、全ては空、「一切皆空」である

 

 

舎利子

シャーリプトラよ。