【觀邪見品第二十七】

「誤った見解の考察」と名付けられる第27章

 

27-27 受亦復如是 云何一分破 一分而不破 是事亦不然

ある部分では、五蘊から得られる世界(受)が滅していて、ある部分では滅していないということは、無意味である。

27-28 若亦有無邊 是二得成者 非有非無邊 是則亦應成

無限でありまたは有限であるという二つを得ることができるなら、無限でなくかつ有限でないというその否定も得ることができるであろう

 

ここでは有限と無限の両立や、有限でないことと無限でないことの両立はできないと言っている。それは立体を無理やり平面でみるからであって、立体を立体として把握すれば無限と有限は両立すると思う。それを「言葉では言い表せない」と表現しているだけである。自我(小我)の世界の上には、大我の世界、その下には、体内社会(インナースペース)があり、その世界は関連付いていることを把握すれば、小我の閉じた世界でなく、有限と無限が混在する世界を描くことができるはずだ。