【觀邪見品第二十七】

「誤った見解の考察」と名付けられる第27章

 

27-21 若世間有邊 云何有後世 若世間無邊 云何有後世

もし現世に終わりがあるのであれば、どうして来世が存在するのか? もし現世に終わりがないとしても、どうして来世が存在するか?

27-22 五陰常相續 猶如燈火炎 以是故世間 不應邊無邊

五蘊の常に連続して続く相続は、灯りの炎の連続のごとく現れる。それゆえこの現世は終わりがあるのでもなく終わりがないものでもない。

 

今日の内容は全くの同意である。現世が終わりがあるわけでもなく、終わりがないわけでもない。また来世は、存在するとはいえない。我は現世を生きるのみである。しかし間接的には、永遠なるなにか(大我)と繋がっていないわけではない。

 

より大我と繋がっているのは、私、自我ではなく、うちなるインナースペース、自分の体にある細胞や細菌であるというのも忘れてはならない。