【觀涅槃品第二十五】 

「ニルバーナ(涅槃)の考察」と名付けられる第25章

25-23 何者為一異 何有常無常 亦常亦無常 非常非無常

なにが同一でなにが異なるであろうか?なにが常にあり、なにが無常なのであろうか?なにが常または無常なのであろうか?なにが常でもなく無常でもないのであろうか?

 

25-24 諸法不可得 滅一切戲論 無人亦無處 佛亦無所說
涅槃とは、一切を認め知ることが滅していて、一切の戯論が滅している。涅槃に関して、ブッダはいかなる教えも、誰にもどんな場所でも説かなかったのである。

 

繰り返しになるが、涅槃が一切なにもない世界だとか、確実にあるものとか、或いはそのどちらでもなく、あるともないとも言えないものとか、どの定義にも当てはまらない。常と無常を分別する前にあるものが涅槃であり、それは説明不能であるということであるし、ブッダもそれを指し示していないということであろう。

 

同一と異なるを決める前の状態とは、一切の分別がない状態であり、それが涅槃である。言葉を使うということは分別するということであるから、涅槃は言葉で説明できないということになる。