【觀涅槃品第二十五】 

「ニルバーナ(涅槃)の考察」と名付けられる第25章

 

25-11 若謂於有無 合為涅槃者 有無即解脫 是事則不然

もし、涅槃が有かつ無であるとするならば、そこへ到達する解脱も有かつ無ということになり、それはすなわち解脱の意味を成さない。

 

25-12 若謂於有無 合為涅槃者 涅槃非無受 是二從受生

もし、涅槃が有かつ無であるとするならば、涅槃は何事にも依存しないことにならない。なぜなら、その二つ(有と無)に依存することになるからである。

 

有かつ無しととはどういうことだろうか?むしろ有るまたは無いに近い気がする。有無がはっきりするということであれば、解脱の道もはっきりする(ある場合は特定の道、無い場合はなし)ということであるので、それはない、ということであろう。また涅槃が何事にも依存しないなら、有無を決めるなにかは存在しないはずであるから、有無が有る自身おかしいと言いたいのであろう。よって涅槃の有無ははっきりしないし、解脱の道も、決まっていないと言いたいのであろう。