【觀涅槃品第二十五】 

「ニルバーナ(涅槃)の考察」と名付けられる第25章

 

25-5 若涅槃是有 涅槃即有為 終無有一法 而是無為者

もし涅槃が存在するなら、涅槃はすなわちなにか意味があって存在する有為であり、もしなんの意味もない無為であるならば、存在することはないことになる。

 

25-6 若涅槃是有 云何名無受  無有不從受 而名為有法

もし涅槃が存在するなら、どうしてなにかに依存しないで存在することができるであろうか?なにかに依存しないということは存在しないということではないか?

 

涅槃が存在しないことを繰り返し言っている。何かに依存して有るということは、仮にあるということで、それは確かに存在することにならないから、涅槃は無自性であり、存在するとは言えないと言っているのであろう。ただ存在しないとも言えないのである。だから菩提心を持つことができる。煩悩と同じくらい菩提心を常に持ち、バイアスのかからないニュートラルであるならば、それは無為と同じではないか?全てを無にすることが無為とは限らないと言えれば、全ては無い世界ではなく、世俗諦における涅槃の意味が見えてくる。