【觀成壞品第二十一】 

「生成と壊滅との考察」と名付けられる第二十一章

 

 

21-17 若初有滅者 則無有後有 初有若不滅 亦無有後有
まず滅したそのものは、後になって生まれることはない。まだ滅していないものは、生まれることもない。

21-18 若初有滅時 而後有生者  滅時是一有 生時是一有

もしまだ滅しつつあるものが、生まれるとするなら、滅しつつあるものと生まれるものは別のものである。

 

また行く川の流れの議論で考えれば、淀みに浮かぶ泡沫は、消えたとしたら、まだ生まれるのは別の泡沫であり、消えた泡沫が復活するのではない。また泡沫が消えないうちに、そこに同じ泡沫が生まれることもない。

 

ただ泡沫は元の川の流れから生まれるものであり、消えれば元の川の水に戻る。泡沫の立場からは、(泡沫が存在している間は)生まれることもないし消えることもない(不生不滅)。川を見ている人の立場からは、生まれたり消えたりするがそれはそれぞれ異なる泡沫の話である。

 

キリスト教では個人が死んでも、復活するから、上記は成り立たない。すなわち消えない魂(アートマン)があるとすれば、不生不滅は、厭世主義だということになってしまう。