【觀成壞品第二十一】 

「生成と壊滅との考察」と名付けられる第二十一章

 

21-11 從法不生法 亦不生非法  從非法不生 法及於非法
法(存在)より法を生ずることはできない。また、法より非法(存在しないもの)を生ずることもできない。

非法(存在しないもの)より法(存在)も非法(存在しないもの)を生ずることはできない。

21-12 法不從自生 亦不從他生 不從自他生 云何而有生 

法は自身(法)から生ずることはできない。また他(自分自身以外)から生ずることもできない

。自分からも他からも生ずることができなかったら、どうやって生ずることができようか?生ずることはできない。

 

これはいかなる法も無自性であり、確かに存在するものはないことを言っている。例えば、物事は諸行無常であるとしても、諸行無常の法に従って縁起があるから、なにか特別の対処法があるわけではなく、なにか特定の解決方法があるわけではない、と言っている。すなわち、縁起は空であり、縁起を構成する法は無自性であると言っている。

 

如何なるこだわり、(執着)は、意味がないと言っている。いや正確には、意味があるといえないしないともいえないということになる。だから、「空」が大事なのである。「空」はその時々(刹那)で、無自性なものに判断を加える。

 

法(存在)より法を生ずることはできない。 これはある意味縁起を否定している。なにか物事にある因果関係に着目しその課題を解こうとするのが縁起であるが、そもそもそんな導出はできないと頭から否定しているように見える。

 

でもそれはある意味当たり前である。未来を予測しても、それは実現しないことはあるのである。また時制がない話でも、物事は多面的であり、確かなものはないのである。だからその時々で刹那に決めてゆくのが正しく、その原理を知っていることで大抵の物事は解決するということであろう。