【觀成壞品第二十一】 

「生成と壊滅との考察」と名付けられる第二十一章

 

21-7 若離於成壞 是亦無有法  若當離於法 亦無有成壞
もしも生成や壊滅を離れたら、モノの存在は成立しない。もしもモノの存在を離れたら、生成や壊滅はない。
21-8 若法性空者 誰當有成壞 若性不空者 亦無有成壞
もしも存在が空であるならば、生成や壊滅はない。もしも存在が空でなければ、生成や壊滅はない。

21-7

もし世の中は無常であり、確かなる存在(アートマン)はないとすれば、モノの存在とは、生成と壊滅の間にあるものでしかない。反対に、モノの存在がなければ、生成や壊滅の対象がないので、変化は起きえない。

 

21-8

もしも、あるモノの存在が空である、すなわち確かなる存在(アートマン)がないとすれば、生成や壊滅は起きない。もしも確かなる存在(アートマン)があるとしたら、確かなる存在が壊滅することもなく、再び生成されることもない。

 

モノの存在はあるともないとも言えない、無自性である、空であると理解すれば、生成も壊滅もなく、それでも納得がゆく。

あるともないともいえないとは、自我の立場の仮想レイヤーであり、繰り返しになるが、一即多で、細胞レベルのレイヤーで考えれば、生成と壊滅は同時に起き、そして確実に存在する細胞がいる。繰り返しになるが、多即一で、共同体レベルのレイヤーで考えれば、生成と壊滅が同時に起き、そして確実に存在する個人(一人一人の人間)がいる。その中間の自我のレイヤーで物事を考えるから、生成と消滅を錯覚するのだ。