三昧という言葉がある。精神集中し、自己をだけを客観的に見つめること(正念)ができる状態を作ることである。

座禅や瞑想により、その正しく安定した精神状態を作ることが、正見や正思に繋がる。

 

そのような精神集中の極致のあと、ふと我に戻った時に気づきが生まれるという。

 

自分もよく歩きながら、歩行禅のような形で精神集中ができる。そうしていろいろなことを思いついたり考えるのが好きだ。

 

このブログに書いているものも、そうして思いついたことがほとんどである。

 

ただ、本当の正定は、言葉も心も感覚も五蘊全てを滅した状態だそうだ、

 

そこまでではないが、自分が気づく場を作るために歩き回っているのは、よくあることだ。

 

4-5km、方向だけを頼りに当てもなく歩くのが好きである。