人間は自分という自我の中で生きている。その中で苦楽もあるが、一生という限られた時間を、出来るだけ幸福に過ごそうと工夫しながら、時には歓喜に溢れ、時には深く苦悩しながら、過ごして行く。

一代で考えればそう言うことだが、実際は何代にも渡って知見をため、社会インフラを作り、伝承し発展させることによって、生物界の生存競争に勝ち、繁栄していった。
 
マクロ視して、人類という生物が、種を残しながら進化していったと考えれば、100年ではなく何万年の間、人類の進化の法則に従って徐々に進化し、生命界の競争原理の頂点として繁栄してきたと言える。人間の死は存在が無くなるというより、新陳代謝で一部を刷新することで、人類としての生きるバイタリティーを確保し、活性を保つために欠くことが出来ないものとなる。
 
それはちょうど人間を構成する億万の細胞と人間個人の関係と同じである。
細胞の死は新陳代謝のために必要だし、個人の成長に必要である。細胞は生きている間、人間全体の営みになんらかの形で貢献する。一方細胞は人間によって生かされている面もある。細胞の役割は分化し、それが協調して働くことで、人間が意思に基づいて行動することを支えている。
 
この細胞の営みを人間個人の営みと考え、細胞支えられる人間の営みを人類の営みと考えれば、自ずと人間個人は何をすべきで、人間の死をどう捉えれば、積極的な死に方ができるか分かる気がする。