ヒッカドウアのゲストハウスで教員歴40年近い、ベテラン高校英語教師と相部屋になった。近年小学校から英語教育を始めたことについて聞くと「以前より心なしか、若干やや発音が良くなったような気もするけど……」と。よく話を聞くと小学生からの早期英語教育についてはほとんど無駄というのが本音らしい。

 先日小学4年の孫娘に英語で何か話してごらんと言ったら「マイ ネーム イズ 〇〇□□」とだけ返ってきた。小学3年、4年で週に1時限、年間35時限の成果である。

 ベテラン英語教師のコメントをきっかけにニホンジンの英語について今までモヤモヤ感じてきたことを考えてみた。

どうして小学校から英語教育するのか?

 そもそもなぜ小学校の英語が始まったのか。巷間頻繁に聞くのは「中学・高校・大学と10年間英語やっても外国人と話せない」「英会話が苦手なのは文法・読み書き中心の英語教育の弊害」「文法・読み書きより英会話に重点を置くべし」というような言論だ。

 何気なくネットを見たら文部省関係のなかに『平成26年9月英語教育に関する有識者会議の報告書』とあり下記の記載があった:

  1. 国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとり必要不可欠である。
  2. 我が国の歴史、文化等の教養と共に、情報や考えなどを積極的に発信し、相手とのコミュニケーションができる必要がある。

 一見して至極当然のようにも解釈できるが、よくよく考えるととんでもない頓珍漢な言説だ。日本人成人全員が上記(2)のような英語によるコミュニケーション能力を獲得することを提言しているのか。だとしたら、そんなことは非現実的だし、不可能だ。

大半の日本人に英会話は無縁で不要

 そもそも日常的に外国人との接触がなく、仕事上で英会話が不要な日本人が大半であろう。そのようなフツウの日本人に有識者会議報告書の指摘する「英会話能力」は無用ではないか。

 筆者の経験ではフランス、スペイン、イタリアの観光地以外の地方においては日本の田舎と同程度に英語が通じない。ましてやロシアやポーランド、ハンガリーなど中東欧諸国では大都市ですら日本並みに英語が通じない。参考までにロシア含め欧州全域、中国、アジア、中東、アフリカなどほぼ全世界で日本同様に中学・高校で英語は必須科目である。

 半世紀近く海外70カ国以上歩いてきた筆者は断言する「中学から10年間英語を勉強しても英語を話せない」のは世界標準である。

観光業ではインバウンド外国人観光客に英会話対応している

 近年はインバウンド観光客が日本全国津々浦々までやってくる。外国人観光客が頻繁に訪れるホテル・旅館・レストラン・土産物屋などでは接客担当は老若男女問わず、上手に英語の簡単な常套句(多分にカタコト英語、カタカナ英語ではあるが)で応対している。

 必要に応じてトラベル英会話のような小冊子の関連パートを暗記しておけば予約確認・案内・注文確認・お会計など業務対応できる。中学英語の範囲の数百程度の語彙、英文法の基礎の基礎があれば十分に業務をこなせるのだ。複雑な問題が発生したらスマホの翻訳アプリや翻訳機を使えばよい。

 戦後進駐軍の占領下で米兵相手に日本人がカタコト英語で逞しく商売していたことを考えれば、現在の日本人は義務教育の中学英語というベースがあるから昨今のインバウンドブームでも容易に対応できるのは不思議ではない。

海外旅行で英会話はどれだけ必要なのか?

 日本人の海外旅行はブームが過ぎ去って久しいが、日本人の年間出国者数は2019年では2000万人超、2023年は1000万人弱という規模だ。このうち大半を占めるのは団体・個人の短期海外旅行者(一ケ月以内)だ。団体旅行では英会話はほぼ不要であろう。

 個人旅行でもトラベル英会話のような冊子を携帯して必要に応じて関連ページの常套句を喋れば大過なく旅行日程を消化できる。すなわち中学英語の範囲内で十分に用は足りる。日本での日常生活で英語とは無縁であってもさほど問題ない。ましてや現在ではスマホの翻訳アプリや翻訳機があるので安心して海外個人旅行することができる。

単独地球一周するのに必要な英語力は?

 さらにバックパッカーのように長期単独個人旅行している日本人はどうだろうか。筆者は世界一周したバックパッカーや長期間海外放浪している日本人男女(多くは20代から40歳以下)に数百人くらい遭遇している。

 率直なところ彼らの99%は中学英語以下である。簡単な英単語を並べ要件を伝えるだけだ。カタコト&カタカナ英語である。主語+述語+目的語というようにフルセンテンスを話せるレベルに至っていない。それでも単独世界一周が可能なのはお金さえ払えば世界中どこでも『お客様は神様』なので丁重に扱ってもらえるからだ。要はお金と多少の度胸と根性があれば誰でも世界一周できるのだ。

仕事で必要な英語力とは何か

 筆者は商社・メーカーで一貫して海外業務に従事。その間米国・イラン・中国に駐在。40年近く仕事で日常的に英語に接する環境にいた。筆者は才能もなく不器用であるがそれなりに英語力向上に努力したと自負する。

 筆者の見聞した限り、社内の海外部門人員の7割は英会話のレベルはかなりお粗末だった(筆者の勤務時期は1980年~2013年の昭和~平成末期の時代)。自社や取引先や金融機関の海外拠点の日本人駐在員ですら英会話レベルは総じてあまり高くないと常々感じていた。英語がペラペラと流暢な日本人海外駐在員は今振り返っても数人しか思い浮かばない。そのうちの2人は帰国子女だ。

 なぜ英語力が必須な海外部門や海外駐在員ですら英会話力が余り高くないのか。理由は明白だ。通常国際業務においては英文でのメール交信(コレポン)と英文書類・英文契約書の読解・作成とが大半であり、それで業務は完結する。つまり従来の日本の英語教育が重点を置いている文法と読み書き能力が業務遂行上最重要なのである。電話や面談における英会話は時候の挨拶や社交儀礼や確認のためなど補足手段に過ぎない場合が多い。

 また、経理・財務・技術などの専門領域の複雑な事案であれば、例えば、会計帳簿や財務諸表や設計図面・技術データなどを一緒に見ながら関係先の外国人と慎重に問題点を整理してゆくので専門知識と関連する若干の専門用語の英単語を理解していれば問題解決できる。つまりペラペラ英会話は全く不要である。

 繰り返しになるが文法と読み書き重視の旧来型英語教育で培われた能力が海外業務における必要不可欠な能力である。英会話力はそのベースの上に成り立っているに過ぎない。

小学校の算数ができない大学生の方が深刻な問題

 分数や小数が分からない、四則演算ができない、つまり小学校算数ができない大学生が20パーセントもいるという。こちらの方が日本の将来にとり深刻な問題ではないか。大学進学率から推定して20歳の成人人口の四割程度が小学校算数を未習熟状態ならば産業全般の国際競争力の土台が危ういことになる。

 小学生のカリキュラムが超過密で教師も残業で疲弊しているなかで、小学英語を廃止して算数の時間を増やすべきではないか。

英語学習はコスパが最悪

 高名な大学教授の論説を思い出す。『語学習得は他の分野の技能習得に比較して余りにも多くの時間と労力を必要とする。語学学習は最もコスパが悪い』と喝破していた。教授によると日本社会で英語能力だけで高収入の職位を得ようとすれば帰国子女や外国人人材との競争となり生半可な英語力では太刀打ちできない。同じ時間と労力を費やすなら経理や財務や技術などの専門能力を習得すべきとの指摘だった。御意!

 筆者の経験でも帰国子女はTOEICスコア900以上がフツウだし、外国人人材は流暢な日本語を操るので重宝される。逆に経理・財務・技術などの専門能力があり多少の英語力(英検2級程度)があれば商社やメーカーでは海外要員になれる。

ワーキングホリデーと短期語学留学への疑問

 筆者は今まで数えきれないくらいのカナダ・豪州・ニュージーランドなどでワーキングホリデーや短期語学留学を経験した日本人の若者を見てきたが、英語力向上の効果については甚だ疑問を感じる。効用はいわゆる外国人慣れするだけのように思える。間投詞英語、またはパーティー英語というのであろうか。外人とチャラチャラしてワオー!とかオーマイガッド!とかクール!とか叫んでいるだけなのだ。

 知的英会話をするレベルからは果てしなく遠い。『外国人と英語が喋れたらカッコイイ』というような安易な意識で渡航しても、文法・読み書きの基礎がなければどれだけ外国に滞在してもまともな英語会話力は絶対に向上しないと断言する。

読み書き・文法中心の日本の英語教育のメリット

 明治以来続いてきた日本の文法・読み書きを中心とする学校英語教育を日本人は自信を持って踏襲するべきである。そのうえで各人の生活や仕事の必要範囲に応じて自助努力(学校教育以外で)で英会話の実践を重ねてゆけば必要なレベルの英会話ができるようになる。カタコト英語・カタカナ英語でも十分に通じるのだ。

 そして日常的に生活や仕事で英語を必要としない大多数の日本人は英語が喋れないことを何ら恥じる必要はない。