春画から見る、性におおらかだった江戸の庶民たち

江戸時代は、いまよりもずっと人々の性はおおらかでした。そんな様子は、当時描かれた枕絵、すなわち春画などからも垣間見られます。

以前僕が見て、微笑ましいと思った春画が、赤ん坊をおんぶする女性と間男の絵です。

間男はその女性と男女の関係を持ちたいがゆえに、女性がおんぶしている赤ん坊をでんでん太鼓であやしながら、後ろからその女性に挑みかかっている。そして、赤ん坊は「このおじさんは誰だろう」と、自分をあやそうとする男をニコニコと見ている。

そんな奇怪な状況ながらも性を楽しもうとする江戸っ子たちを見ていると、「当時の人々は、本当に性を謳歌していたのだな」と思わず微笑んでしまいます。

なお、春画のレパートリーは非常に広く、男女の交わりだけでなく、陰間、すなわち中高年の男性が男娼を買うような絵もあります。武士の世界では、男性同士の恋愛は、女性との恋愛よりも格上だとされていました。僕自身はあまり詳しくないのですが、男性同士の恋愛だと男役と女役に分かれ、女役の男性は中性的な容姿であることも多かったようです。

しかし、その組み合わせがすべてだったわけではありません。たとえば、織田信長に愛された森蘭丸は、筋肉隆々としたマッチョ体型だったようで、江戸時代の絵で彼が描かれる際は、非常に立派な肉体を持つ人物として描かれています。

これら史料を見ると、性の多様性に驚かされます。江戸時代前後の日本人は、今以上に性が身近なものだったのではないでしょうか。

江戸の町では、不倫もお金を払えば許された

不倫に対しても、庶民の間では、かなり寛容に受け入れられていたようです。

武士の世界では不義密通はご法度で、間男はその場で叩き斬られることもありました。

でも、庶民の場合は不倫のたびに幕府に訴えるのは面倒なので、いつの間にか「間男七両二歩」という取り決めが生まれます。これは、「仮に不倫をした場合、男は相手の女性の旦那に七両二歩払って勘弁してもらう」というルールです。

七両二歩は、現代なら大体75万円ほど。裕福な人の場合は、先にお金を用意して、旦那に渡してから相手の妻と不倫をした人もいたそうです。さらにいえば、江戸の町ではパートナーを見つけて結婚できること自体がラッキーでした。なぜなら、当時の江戸の男女比率は、男性のほうが圧倒的に多かったからです。

「江戸に行けば仕事があるらしい」と聞きつけた埼玉や千葉エリアの食い詰めた農家の次男坊や三男坊たちが大勢いたものの、女性が少ないので嫁をもらえない男が非常に多く、結婚できる男性はほんの一握り。

妻がもらえない男性たちの間で人気になったのが、風俗です。

しかし、風俗の流行は、梅毒などの性病の蔓延をも引き起こしました。当時、梅毒の治療法は水銀を飲むなどの非科学的なものが主流だったので、適切な治療ができずに症状が悪化し、鼻が腐り落ちてしまった人も大勢いたようです。

それでも粋を愛する江戸っ子たちは風俗通いをやめず、むしろ「梅毒にかかるのは、粋な遊び人」くらいに思われていたようです。

結婚できない人が多く、梅毒が増えるという現象は、現代にも少し通じる部分があります。

現代では梅毒は治る病気ですが、江戸時代は一度患うと死んでしまう致命的な病気です。死ぬリスクがあっても風俗通いをやめないというのだから、江戸っ子は本当に遊び好きだと思わざるを得ません。

一度関係を持つのに300万円! 花魁との大人の遊び

また、遊ぶのにもそれなりにお金がかかります。

たとえば、当時、遊女の中でも最高峰の地位にいた花魁たちと関係を持つには、いったいどのくらいのお金がかかるのかを、みなさんはご存じでしょうか?

一説ではありますが、最高級の花魁たちと遊ぶには、一晩あたり100万円ほどかかります。しかも、一度店に通っただけでは、花魁たちに相手にはしてもらえません。

吉原で遊びたい場合、最初はまず顔合わせから始まります。初めて会った日は、ただお互い顔を確認し合うだけ。さらに、遊郭の人々にご馳走もしなければなりません。これにかかる費用が、だいたい100万円だと言われています。そして、二回目。花魁ともう一度会うことを「裏を返す」という言い方をします。これは、指名が入ると遊女の名札が裏返されることに由来します。このときも遊郭の人々にご馳走するので、同じように100万円くらい使います。

三回目になると、ようやく「馴染み」と認められ、念願かなって同じ布団で寝ることができます。この費用にも100万円かかります。

三回の手順を踏み、トータルで300万円を使って、ようやく憧れの花魁を手に入れることができるのです。

しかし、当時の花魁は、いまでいうアイドルのようなもの。意中のアイドルと300万円で馴染みになれるのを、安いと思うか、高いと思うか。その判断については、お任せします。