松平容保系図 ~話題の家系図 | 家系図と御先祖様のルーツがよく分かる

松平容保系図 ~話題の家系図

こんばんわ!

家系図作成の専門家「家族の樹」です。


今日は一日墓地調査でした。

夏にいった時は竹藪に覆われいたので、

やぶ蚊の総攻撃を受けてたいへんショック!


今回調査に行ったら竹を伐採しておられ、

スムーズに調査を行えました。

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家系図と御先祖様のルーツがよく分かる-松平容保系図

会津藩主松平家の系図です。


藩祖保科正之は二代将軍徳川秀忠の庶子(四男)として

生まれます。


恐妻家の秀忠は正室お江に知れることを恐れ、

その誕生と生育は隠密に進められました。


武田信玄の次女・見性院に養育された幸松(後の正之)は、

武田氏旧臣の信濃高遠藩主保科正光の養子となり、

高遠藩の藩主となります。


保科正之が異母弟であることを知った将軍徳川家光は

その謹直で有能な正之を信頼し、

寛永13年には出羽山形藩、寛永20年陸奥会津藩に

大大名に引き立てます。

以後、幕末まで会津松平家が続きます。


しかし、保科正之の血筋は七代にして絶えます。

多くの藩主系図がそうでるように、

男系は短命となり、末の弟が家督をつぎ、

傍系から養子が入り、そして絶えます。


松平容保は美濃高須藩主松平義建の六男、

しかしその血筋は水戸徳川家につながります。