止めを刺す・・・苦しませない事である。当然ながら相手に敬意を払い、行う行為と知る。ここで興味を引くのが止めは刺す。決して斬るではない。(言葉の問題です)生死の確認は呼吸が有るか、或は心臓の鼓動が確認出来るかが判断材料になっている。決して脳死判定ではないのである。形における真や野送りなどは止めを差さない。と言う事は、確実に死ぬという事である。止めを刺すとは、心臓の動きを止める為に行う刺突行為なのである。しかしながら、この行為を居合の形で行った場合、明らかに違和感を覚えるのではなかろうか?では何故違和感を覚えるのだろうか?ここに大きな課題が有るからである。
日本人と日本国民・・・政治的発言は控えている。何が正しく、何が間違っているかの判断は、何を根拠にすれば良いのか?報道の偏った発言の一つをとっても、やはり判断が難しい。では一体何を信じて行けば良いのか?自分を考えた場合、やはり国の為が一つの基準となり得るのだ。国の為という事・・・要するにただの日本人ではなく、本当の意味での日本国民でなくてはならないと思うのです。自分の国に誇りを持ち、先人が守って来たこの日本を、後の世代に引き継がなくてはいけないのです。「 一所懸命 」武士道の根源が、ここに有るのです。
寒さに耐えながら・・・今日で今年の大泉稽古は終了である。寒さではなく、冷たさに体全体がまだ馴染んでおらず、怪我の無いように気を使う。気持ちは若くとも体が付いてこない。準備運動が足りなかったのか、肘に違和感を覚えてしまう。残り少ない今年を無事に乗り切りたいものである。
余談として・・・時にカメラはその真実を映す。武道において、写真はその人の生き様を映し出す事が多々有る。どういう事か・・・。武道は武術の裏打ちが有って存在する。その世界を歩んで来た人にしか分からない世界でもある。生きるか死ぬかの世界なのだ。その言葉には違和感を持たれる方もいるだろう。それはそれで否定はしない。それを乗り越える事が出来ない時は、当然ながらそれを乗り越えて来た人とは格が違う。武道において、格の違いとは何なのだろうか?では武術においての格の違いとは何なのか?今はただ、真摯に稽古に励みましょう。
礼の掟・・・そこには超えてはならない一線が有る。奥入り書で五常を戒める。では五常とは何なのか?親しき仲にも礼儀あり。礼が軽んじられる世界に武道は無く、当然ながらそこには誠も存在しない。自分の行いをもう一度振り返って頂きたい。その行動がどれだけ他の人に対し幼稚に映るかを。謙虚に生きましょう。では一体謙虚とは何なのか?それが今の貴方の課題なのです。