(抜粋)
彼らの合言葉である「需要と供給の関係」が人事部にもそのまま適用されると考えれば問題は単純である。そして人件費削減を決定する企業の財務マンにとっては、人件費の総額全体をいくらに抑えられるが重要なのであり、そのパイを何人で分けるかはこのさいどうでもよい。
そこで労働者側が自分の給料も所詮需要と供給で決まるということを受入れれば、需給関係の神の手が働いて一人当りの賃金を下げ、パイを少しづつ大勢で分け合うことで失業は解決されるはずだというのである。
それに比べるとケインズの処方箋は全く対照的に、労働者の賃金削減どころか、逆に彼らに持ち帰らせる賃金の総額を逆に今より増やしてしまえという、一見パラドックスじみた無謀なことを主張する。それは、ケインズの失業問題の処方箋の基本的な考え方が、経済全体を拡大して縮小状態から脱出し、結果的に全員を収容できるようにすべきだというものだからである。
実際労働者に昨日より多くの給料を持ち帰らせれば、翌日に彼らが消費者に立場を変えた時、予期せぬ収入増に気が大きくなった彼らによって消費が増え、デパートの売上げが大幅増となって、社会内部で企業の業績全体が上向いてくれることを期待できる。
そうなれば企業としても規模拡張のために人件費を増やす余裕が出てきて、経済全体が拡大の勢いをつけてくることになる。そうこうしているうちに、失業問題など知らないうちに解決されてしまっているはずだというわけである。
そしてこれがそんなにうまく行くものかという疑念に対しては、先ほどの乗数理論が理論的に保証をしてくれている。そしてその最初の鍵、つまり労働者に余分の賃金を持ち帰らせることを、政府による公共投資という形で行なえばよいというのが、いわゆる「ケインズ・プログラム」である。
素晴らしい! これが本当にうまく行くならば、これほど明るさに彩られた斬新な処方箋はないわけで、これが多くの若い経済学者の心を捉えたというのも納得の行くことだった。
(コメント)
古典論は「需要と供給の関係」はある軌道の中でどうするのが最適かを調整するのにちょうどよいのだろう。
反対にケインズはどこの軌道でまず運用すべきことなのかをしっかり見定めなくてはいけないということに重点を置いている。
だからその2つは目的が全然違うもので、2つに1つでなくてセットで使い分けなくてはいけないのではないかと個人的に思った。
彼らの合言葉である「需要と供給の関係」が人事部にもそのまま適用されると考えれば問題は単純である。そして人件費削減を決定する企業の財務マンにとっては、人件費の総額全体をいくらに抑えられるが重要なのであり、そのパイを何人で分けるかはこのさいどうでもよい。
そこで労働者側が自分の給料も所詮需要と供給で決まるということを受入れれば、需給関係の神の手が働いて一人当りの賃金を下げ、パイを少しづつ大勢で分け合うことで失業は解決されるはずだというのである。
それに比べるとケインズの処方箋は全く対照的に、労働者の賃金削減どころか、逆に彼らに持ち帰らせる賃金の総額を逆に今より増やしてしまえという、一見パラドックスじみた無謀なことを主張する。それは、ケインズの失業問題の処方箋の基本的な考え方が、経済全体を拡大して縮小状態から脱出し、結果的に全員を収容できるようにすべきだというものだからである。
実際労働者に昨日より多くの給料を持ち帰らせれば、翌日に彼らが消費者に立場を変えた時、予期せぬ収入増に気が大きくなった彼らによって消費が増え、デパートの売上げが大幅増となって、社会内部で企業の業績全体が上向いてくれることを期待できる。
そうなれば企業としても規模拡張のために人件費を増やす余裕が出てきて、経済全体が拡大の勢いをつけてくることになる。そうこうしているうちに、失業問題など知らないうちに解決されてしまっているはずだというわけである。
そしてこれがそんなにうまく行くものかという疑念に対しては、先ほどの乗数理論が理論的に保証をしてくれている。そしてその最初の鍵、つまり労働者に余分の賃金を持ち帰らせることを、政府による公共投資という形で行なえばよいというのが、いわゆる「ケインズ・プログラム」である。
素晴らしい! これが本当にうまく行くならば、これほど明るさに彩られた斬新な処方箋はないわけで、これが多くの若い経済学者の心を捉えたというのも納得の行くことだった。
(コメント)
古典論は「需要と供給の関係」はある軌道の中でどうするのが最適かを調整するのにちょうどよいのだろう。
反対にケインズはどこの軌道でまず運用すべきことなのかをしっかり見定めなくてはいけないということに重点を置いている。
だからその2つは目的が全然違うもので、2つに1つでなくてセットで使い分けなくてはいけないのではないかと個人的に思った。