英蘭戦争( 1 6 5 2~ 1 6 7 3年) によってオランダ海軍を叩き潰し、その海運と貿易をも
ぎ取ってから英国は貿易の世界に君臨し、海外からの物品がロンドンに集められた、つまり商品の「水平的浸透」が大変な速度で始まっていたことになる。

英国の場合、貴族の占有物が庶民に浸透する「垂直的浸透」がこれと並行的に進行することになった。その代表的なものは、インド製の高級織物の流行である。

これは、貿易のネットワークが広がったことにより、インドで低賃金で生産されていた高級織物( キャラコと呼ばれる) を非常に安い値段で買えるようになったことである。そのためそれまで貴族しか手が出なかったような高級織物が庶民の手にも届くようになった。

需要の落ちこみがやってくる以前に産業革命が到来し( 1 7 8 1 年、ワットの蒸気機関が登場)、
動力織機が産み出すさらに安い綿製品がとってかわってそれを引き継いでいったのである。

そして産業革命は、それと並行する形でもう一つの「需要の山」を作り出した。つまり一般消費者ではなく、企業家や産業界自体の需要、つまり製品を生産するための機械の需要というものが馬鹿にならないものとして経済の中に確固たる位置を占めるようになったのである。

動力織機や石炭を運搬する機関車などという「重い」機械の需要が経済の中に登場してきたという点で、これは画期的なものだったが、それは同時に、連続的に行われる巨額の設備投資というものが、経済の中の大きなファクターになったという点でも一つの大きな転換点だった。

国内の市場はすぐに飽和してしまうため、産業革命を達成した国々は次々と外に市場を求めていかざるを得ず、その市場獲得の努力はしばしば露骨な帝国主義の形をとり、並行する形で「南側諸国」の経済的壊滅がどうしようもなく進行していたことは否みがたい。

産業革命が興した「石炭文明」がその可能性をほぼやり尽くし、それ以上の需要を掘り起こせなくなった。

第二次大戦後に「石油文明」が興り、そして自動車や電気洗濯機などを代表選手としてそれらをワンセットで一個のライフスタイルに組み上げた、いわゆるアメリカ的生活様式が登場。

この「石油文明」の到来がなければ、第二次大戦後の経済的繁栄というものは恐らくあり得なかったろう。

米国の場合、この石油文明への先導役を務めたのは何と言っても自動車である。また他の国もこれに追随するように、電気洗濯機、冷蔵庫、テレビと、値の張るマシンが際限なく家庭の中に入り込んできたのである。


(コメント)
機動力への執着は自動車を一家一台にまで到着させた。
江戸時代の人達、まったくこういう世界、想像できなかっただろうなぁ。