(抜粋)
農業および一次産業側の苦闘と敗北についていろいろと見てきたわけだが、しかしながら勝者である商工業の側にも内部に苦労の種を抱えている。
何と言っても商工業の世界は、ある品物が儲かるとなればあっという間に怒涛のようにライバルが参入し、需要はすぐに飽和してたちまち過剰生産に陥り、恐慌状態に近い値崩れを引き起こす。
かつて農業の世界が天候に影響されて豊作と凶作の間を行き来していたのに対し、商工業で成り立つ近代社会は、人間が周期的に起こす好況と恐慌に悩まされる。
恐慌や景気後退の原因がすべてそのようなものだと言っては嘘になるが、それでもやはり過剰生産による需要の飽和というものがかなりの場合その根源に存在することは否定のしようがない。
そして近代において恐慌や不景気から経済を脱出させるきっかけを作ってきたものは、大抵の場合は技術革新・イノベーションというものであった。
とにかく一旦飽和してしまった市場というものは、企業がどう努力しようが政府の経済政策がうまかろうが、どうにも手の施しようがない。そのためむしろそれはもう捨てて新製品・新産業というものに期待をかけ、新しくブームを起こすことで経済を再び盛り上げる以外に実質的に策がなく、そういう革新的な技術による新産業の登場のみが救世主たり得るというわけである。
いささか単純化しすぎるきらいはあるが、とにかく近代産業社会の経済は、一定の高度を保つよりは、むしろ需要の飽和と技術革新による失速急降下と急上昇を繰り返す波状のカーブを描いてきたのである。
とにかく商工業というものはその性格上、発生以来常に「いかに需要を掘り起こすか」という問題に悩み続け、その心労は天候を心配する農民に数倍するものであった。
もっとも細かいことを言えば、一番初期の段階では、需要の拡大のためにとられた方法は技術革新であったわけではなく、それに先立って次のような二つの方法がとられていた。
それらはあまりに当たり前のことでわざわざ書くまでもないのだが、まず最初の方法とは、要するに手近の市場が飽和したら、販路をもっと拡大することである。
これはいわば「水平的な」需要拡大と言うべきものであるが、これを行うためには商品を遠くへ運んでいける船などの存在はしばしば重要な鍵となり、先ほど述べた江戸時代の経済の問題ともオーバーラップする。交通を盛んにすることが商業を盛んにするというのは、この段階において最もよく当てはまる。
そしてこの需要の拡大が「水平方向」への拡大だとすれば、もう一つの方法は「垂直方向」への拡大であり、要するに今までは貴族しか買わなかった高級品を、庶民でも買えるようにすることである。この場合の鍵を握るのは価格低下ということであり、高価だった品物の値段が下がっていくことで、どんどん需要が下の層へ拡大浸透していくことになる。
初期段階ではさほどの革命的なテクノロジーなしでも、このような方法で水平方向・垂直方向に需要を拡大していけるというわけだが、これらが完全に飽和してしまった場合は、もう新しい技術革新を起こして全く新しい需要を開拓するほかなくなるというわけである。
(コメント)
前文のせてしまった。
この章が言おうとしていることは、APPLEのipadとかiphoneとかが象徴的だよな。
先陣をきって出す商品の模倣が次々と発売され需要はすぐに飽和状態。
でもAPPLEの商品は値崩れをおこさないようにできている。ブランド力なのだろうか?
他に商工業側が気にすることといったら技術革新をすること。
それと市場を拡大すること、商品を買ってもらう対象を増やすこと。
みんなたいへんだ。
農業および一次産業側の苦闘と敗北についていろいろと見てきたわけだが、しかしながら勝者である商工業の側にも内部に苦労の種を抱えている。
何と言っても商工業の世界は、ある品物が儲かるとなればあっという間に怒涛のようにライバルが参入し、需要はすぐに飽和してたちまち過剰生産に陥り、恐慌状態に近い値崩れを引き起こす。
かつて農業の世界が天候に影響されて豊作と凶作の間を行き来していたのに対し、商工業で成り立つ近代社会は、人間が周期的に起こす好況と恐慌に悩まされる。
恐慌や景気後退の原因がすべてそのようなものだと言っては嘘になるが、それでもやはり過剰生産による需要の飽和というものがかなりの場合その根源に存在することは否定のしようがない。
そして近代において恐慌や不景気から経済を脱出させるきっかけを作ってきたものは、大抵の場合は技術革新・イノベーションというものであった。
とにかく一旦飽和してしまった市場というものは、企業がどう努力しようが政府の経済政策がうまかろうが、どうにも手の施しようがない。そのためむしろそれはもう捨てて新製品・新産業というものに期待をかけ、新しくブームを起こすことで経済を再び盛り上げる以外に実質的に策がなく、そういう革新的な技術による新産業の登場のみが救世主たり得るというわけである。
いささか単純化しすぎるきらいはあるが、とにかく近代産業社会の経済は、一定の高度を保つよりは、むしろ需要の飽和と技術革新による失速急降下と急上昇を繰り返す波状のカーブを描いてきたのである。
とにかく商工業というものはその性格上、発生以来常に「いかに需要を掘り起こすか」という問題に悩み続け、その心労は天候を心配する農民に数倍するものであった。
もっとも細かいことを言えば、一番初期の段階では、需要の拡大のためにとられた方法は技術革新であったわけではなく、それに先立って次のような二つの方法がとられていた。
それらはあまりに当たり前のことでわざわざ書くまでもないのだが、まず最初の方法とは、要するに手近の市場が飽和したら、販路をもっと拡大することである。
これはいわば「水平的な」需要拡大と言うべきものであるが、これを行うためには商品を遠くへ運んでいける船などの存在はしばしば重要な鍵となり、先ほど述べた江戸時代の経済の問題ともオーバーラップする。交通を盛んにすることが商業を盛んにするというのは、この段階において最もよく当てはまる。
そしてこの需要の拡大が「水平方向」への拡大だとすれば、もう一つの方法は「垂直方向」への拡大であり、要するに今までは貴族しか買わなかった高級品を、庶民でも買えるようにすることである。この場合の鍵を握るのは価格低下ということであり、高価だった品物の値段が下がっていくことで、どんどん需要が下の層へ拡大浸透していくことになる。
初期段階ではさほどの革命的なテクノロジーなしでも、このような方法で水平方向・垂直方向に需要を拡大していけるというわけだが、これらが完全に飽和してしまった場合は、もう新しい技術革新を起こして全く新しい需要を開拓するほかなくなるというわけである。
(コメント)
前文のせてしまった。
この章が言おうとしていることは、APPLEのipadとかiphoneとかが象徴的だよな。
先陣をきって出す商品の模倣が次々と発売され需要はすぐに飽和状態。
でもAPPLEの商品は値崩れをおこさないようにできている。ブランド力なのだろうか?
他に商工業側が気にすることといったら技術革新をすること。
それと市場を拡大すること、商品を買ってもらう対象を増やすこと。
みんなたいへんだ。