(抜粋)
中世の世界においては人々は金・マネーというものを、一種の核燃料のようなものだと感じていたようである。

確かにそれは社会を動かす燃料として大きなパワーをもっている。

しかしそれはむき出しで放置しておくと社会の中の精神面を拝金主義という放射能で致命的に汚染する。

まとまった金が誰かの手元にあったとき、まず利息を禁じておくことで、労せずしてそれをどんどん増やせるという希望を遮断しておく。

こうして金を集中して温存する意義を失わせた上で、一方は天国行きの切符と引換えに教会の地下に吸収させる、もう一方は貧困層に分散するという手段で、その過度に集中した富に撤退路を与えるのである。

このようにして、中世の文明は大変な労力を払って資本主義の成長をむしろ意識的に抑制しており、またその際に用いられた手段は極めて巧妙なものであった。

現在でも中東ではこのシステムは結構機能しているらしく、例えばエジプトなどでは今でも年末になると、紳士がお札をたくさん持って街に出て、貧しい人々にそれをばらまく光景が見られるとのこと。

むしろ問題は、こういう習慣に悪乗りして巨額の施しを稼ぎ出す「プロの乞食」がいることで、最近スーダンで見つかった凄腕の乞食に至っては、現代スーダン大卒男子の平均初任給の約800年分に相当する資産を乞食稼業で稼ぎ出してしまったというから仰天だ。

(コメント)
お金も核燃料も一箇所に溜まりすぎると安定によくないという視点おもしろい。
中世のイスラムでは一箇所に溜まらない仕組みを人々に植え付けて大変な労力を払って資本主義の成長をむしろ意識的に抑制していたという。
こういう根本思想がよくいわれるアメリカとイスラムの対立を生んでいるのかなぁ。