君と僕の物語(第一一話) | 若宮桂のブログ・空と海がぶつかる場所
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その仔猫は、段ボール箱に哺乳瓶と一緒に入れられて捨てられていた。
ようやく目が開いたくらい。生後1週間程度の、猫の新生児だった。


2002年10月より、業務請負社員として工場で働いていた若宮。
しかし、安住の地ではなかった。2009年2月8日、また解雇を告げられた。

ひどく落ち込み、律子さんとの約束も忘れて闇に落ちそうになった。

だが、あの子が送ってきた2通のメールに救われた。

失業とは別に抱えていた最大の困難と向き合い、立ち向かうことに決め、就職活動開始時期も遅らせることにした。

仔猫を連れて帰ったのは、そんな困難の解決に向けて動き出し、それがひと段落した2009年5月7日のことだった。

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その頃の私のmixi日記に、こんな記述がある。

こいつを段ボールに入れた奴にこれだけは言っておく。
猫の仔1匹すら育てられずにメンドクサイと放り出してしまったお前はもう子育ての類いを今後一切するな。猫の仔すら育てられない、里親も探せない、ふた言目にはメンドクサイとほざくお前に猫よりも育てるのが難しい人間の子を育てるのなんてまず無理だ。
君の子どもが拾ってきて、それで里親探しなんてメンドクサイから段ボールに入れたのかい? 君は親失格だ、子どもと一緒になってこの難しい問題を解決していくべきだった。子どもがいない若宮にでもすぐに判る。
仕事が忙しいから段ボールに入れたのかい? それが何だと云うのか。自分は仕事し乍ら自動車学校に通い乍ら睡眠時間毎日3時間で足を骨折した仔猫を育ててそいつの里親探しもしたことがあるよ。過去日記(※君と僕の物語・第五話で書いた話のこと)読みますか。結局メンドクサイんでしょ。
失業してるから?
喘息あるから?
それが何だと云うのでしょうか?
それとも他に素晴らしい理由があるのですか?
結局はメンドクサイんでしょ。

当時、怒りに満ち満ちていた。
だが、吠えても仕方がない。私はふた言目にはメンドクサイとほざく奴等、やってみる前から諦めてしまう奴等とは違う。
こいつは生きる為に生まれてきたんだ。
ハローワークの職業訓練を受けてみようと思っていたが、更に延期して、仔育てと里親探しを始めることに決めた。

君と僕の物語・第二話で紹介した「うらら」、第十話の「チョビ」、第五話の「ポッキ」と、過去に3度猫里親探しをしたことがある。
また、第七話の「美衣」、第三話の「めっしゅ」と、通算2匹の猫と暮らしたこともある猫飼いのベテランであるが、新生児を育てるのは初だった。

買ってきた猫用粉ミルクを溶き、スポイトでゆっくりと飲ませた。
少しづゝ、何度もなんどでも。

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仔猫が来た晩、6年掛けて治療し、治っていた筈の喘息が突然再発した。
仔猫の毛か、ストレスからか、。
解雇は告げられていたが、有給休暇が無くなる6月いっぱいまで会社に籍があった。それで、まだ残っていた健康保険証を持って病院へ行った。
喘息治療でお世話になった医師は研究活動の為すでに病院にはおらず、別な医師に、即効性のある喘息の吸引薬を限度いっぱいまで出してもらった。

そして、仔猫も病院へ連れていった。
晩年のめっしゅやチョビもお世話になり、ポッキの骨折治療もしてくれた病院。めっしゅが亡くなって以来、約4年ぶりに出向いた。
当時の日記によると、この頃体重は350gとある。
猫エイズなどの感染症に関してはまだちいさすぎて判らない。あまりにちいさいので、もう少し、1ヶ月半くらい育ててから里親探しは開始した方が良いとのアドバイスを受けた。

病院で、猫さんの名前欄に「フェイ」と書いた。
この仔猫と出会ったのは、敬愛する音楽家、岡崎律子さんの命日の2日後。
その事実になにか感じるものがあり、律子さんの遺作となった最後のアルバム「for RITZ」収録の「fay」から名を採った。
妖精という意味があるらしい。

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最初はスポイトでミルクを飲んでいた仔猫。やがて、一緒に段ボールに入っていた哺乳瓶で飲めるようになった。
心臓に負担が掛かるので1日最大4回しか使えない喘息の吸引薬を、日に8~10回くらい使った。
発作が出ると、水のなかで息をしているような感じになる。

当時の日記に、
こんな狭い部屋で猫さんかわいそうだ
もっと広くて暖かい家庭を早く探してあげたい
それから、
心臓がぶっ壊れるのが早いか、気管支がぶっ壊れるのが早いかの違いだ
たいして変わらないな
とある。


  お願いはひとつ
  力になりたい
  みつけて
  今は 私についてきて

  優しさは なによりも素敵なgift
  I don't ask for any rewards
  Because of only love

  岡崎律子/fay




フェイは離乳食を食べるようになり、やがて猫罐と猫カリカリに。
元気いっぱいな男の仔に育った。
所属していた派遣会社は、6月を待たず、5月いっぱいで廃業となった。
貯金や雇用保険、失業解決金、ネットオークションでの売却益等で資金を捻出した。

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ほかに何もいらない
たゞ愛の為
「fay」の英詞は、こう訳せばよいだろうか?

6月に入って、インターネットの猫里親探し掲示板に、情報を載せた。
倖せに暮らしてほしい。
もうこの頃は、自分のことより、それだけを考えるようになっていた。

当時の日記にはこう書いてある。

自分は猫を可愛がる人ではなく猫を育てる人にこそ里親になっていたゞきたいと考えています。可愛がるのは誰にでもできますが、育てるのは誰にでもできない。
病気になったら当たり前のように病院に連れていき、遊びたがったら当たり前のように自分の為の楽しみを中断でき、あまやかせるだけでなくダメなことはダメだとしっかり教えられる人。そんな人間こそ育ての親といえる。
これは人間の子どもを育てるのでも同じことじゃないかな。自分には子どもいないけど。

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6月下旬。体重は1.4kgになっていた。
第一話で紹介したメルが患い、幼い命を落とした猫免疫不全ウイルス(猫エイズ)と、猫白血病ウイルスの検査をしてもらった。陰性だった。

指しゃぶりが大好きで、いつもガジガジガジガジ。
いつの間にか、フェイとは呼ばず、ガジガジくんと呼ぶようになっていった。
猫さんを育てることになって2ヶ月目になる7月6日までに希望者が現れなかったら、里親募集掲示板の書き込みを削除して自宅で育てることに決めた。

6月29日。
1通のメールが送られてきた。里親希望者だった。
何度かメールでやり取りをして里親に出すことに決めた。

里親希望者は、大野城市の生後2か月のお子さんがいる30代のご夫婦。
7月6日。タクシーで連れていった。

すでに2匹の先住猫がいる、たいへん猫がお好きな方のよう。
ふたり目の子どもは(経済的に)難しいので、ひとりっ子になってしまうお子さんに友だちをたくさんつくってあげたいとのことだった。

猫さんが新しい家や先住猫さんと馴染むかどうか、1週間~1ヶ月ほど預けて様子を見ることにし、里親探し掲示板が発行した誓約書にサインしてもらった。
里親探しに時間を取られているうち、ハローワーク紹介の職業訓練を受けられる期間は過ぎてしまっていた。

だが、あいつを救ったのだ。
これで良かったのだ。きっと、。




吉崎硝子さんの楽曲を聴いていて思い出した、ちいさなちいさな、いのちの物語。「君と僕の物語」。
この日記は不定期で連載中です。最後までお読みくださってありがとうございます。




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…その後のフェイ。
ちょうど1ヶ月後に様子を見にいくと、やんちゃに暮らしていた。
安心して、里親宅を後にした。
あいつとは、それきり会っていない。