初夏に久高島に行ってきた。
なぜ、今それを書く気持ちになったのは、やっと自分と向き合えたから。そして、明日のライオンゲートを気持ちよく、くぐりたかったから。私の闇を自分自身の戒めとして残します。
久高島。
それは、何年か前に観たイザイホウの映画からその存在を知った。
神々の島、聖なる島だから、むやみやたらと行けない土地。
呼ばれないと行けない、という迷信がまことしやかにささやかれる清浄の島らしい。
ラッキーなことに。知人がFBであげた久高島記事に、ただ一行、
行きたい!と願っただけで、あっという間に全てが揃い、素敵な仲間たちに恵まれて素晴らしい経験あり、の、出逢いあり、の豊かな時間を過ごさせて頂いた。
尊敬するホンモノの一族に導かれ、ご神託を頂いた。しあわせだった。満ち足りていた。
大自然で過ごす心地よさ。心が解放されて、身体中が清められたような氣さえした。
このご恩は一人だけの物ではない。循環させることこそ、しあわせの第一歩。と教わったばかりなのに、その時私は心底その意味を理解していなかった。
久高島を離れ、高速フェリーで沖縄本島の船着き場へ無事に到着。バスの時刻表を、、と向かう私に一人の男性が声を掛けた。その人は、タクシーの運転手さんで、どこまで行くのかと聞いてきた。知らない人からの声掛けには一切聞く耳を持たない私は、スルーした。だけど、一行の中の一人が交渉してくれてとても安い値段で空港迄、私たちを連れて行ってくれることになった。
タクシーなのでバスで行くよりも、数倍時間が短縮出来る上に格安だなんて、本当に良いのかと思ったが、友人も一緒だし。日本だからとそのままタクシーに乗り込んでしまった。
乗って暫くすると、タクシーのおじさんは、渋滞している道を避けるため少し遠回りだけど、空いているルートで行くという。
少し心配になって、どの位時間が掛かるのかと聞いたのに、それには聞こえないようで一切答えずに、道行く先々で咲いているお花の名前や木の名前、観光スポット等を丁寧に教えてくれる。
よく見ると、メーターは倒されておらず、刻々と金額を上げて行く。それは、みるみる私たちの金額に迫る勢いだった。
あんなに気をつけていたのに、、日本なのに。。やられてしまった。。
後悔の念が押し寄せる。長い事、商社に勤務していたので海外でボラれた話なら、いくらでも聞いていた。それなのに。。
途中とちゅうで、私たちがよく花が見えるように車の速度を落としつつ花の名前を詳しく教えてくれる運転手さんに向かって、お花の説明や、観光はもういいです。何回も来ているから。。と冷たく言い放つ、黒い塊の私。
一瞬で和やかな雰囲気から、じめっとした空気に変わったが、そんな事よりも、だまされた私がいてもたってもいられなかった。やるせなかった。。
だまされる私、人に搾取される自分。
が創り出されていく。
全ては自作自演のこの世界。
ならば…
欲しいだけ、分け与えればいい。
それぐらいで枯渇する程、私の愛は小さくない。。
と、今なら思う。
自分から人に奉仕をする事は嬉しいくせに、人に要求される事には抵抗があった。人から見たら、結果的には同じ事なのに。
最終的には、おじさんはバスの時間なんかよりもずっと早く快適に私たちを無事に空港へ送り届けてくれました。それも、約束の金額通りに。。
泣けました。
最後の最後に久高島は私に
人を信じきることの大切さを教えてくれました。
滅多に出る事ができない自分の感情を引き出してくれた、タクシーのおじさんは実は本当の神様だったのかも知れません。
久高島の光溢れる思い出よりも、ゲスい私がやっと出てこれた安堵感の方が、今の私に心地よい。
ゲスい私も大切な私の一部。
また久高島へお礼に行こう。
おじさんに今度は正規料金でお花の名前をゆっくり教えてもらおう。
素敵な初夏の思いでとともに。
ありがとう!久高島!
ありがとう!おじさん
ありがとう!みんな
やっぱり、久高島は神の島^ ^