【幻惑酒場の誘惑】❽稀守池實
そのバーでは『付けで飲ませろ』と、
悪行三昧やりたい放題だった。
ほぼ周りの常連には総好かんされていたが、
一部の客には元気のいいおっさんとして好いていてくれた客もいたようである。出入り禁止にはならなかったのだから歓迎したくないが店には入れてくれていた。
帰り際には、
「こんな店二度と、くるからな!」
バーテンがむっとするようなことを言って帰っていた。
「シー・ユー・アゲイン」と言って帰るのが口癖であった。
若者たちとバカ話して、ウサ晴らししていたのだろう。
「撮影でチベットにほんのチベット行った」
「ギリシアには義理の妻がいる」
「サントリー毎日飲めば日課になる」
朝まで駄洒落を言いっぱなしで、
俺は“ダジャイスト”だとか。若いバーテンは、
よく我慢していたものだ。
その頃飲み屋街でLPレコードで曲を聞かせながら飲ませる店が増えていった。
通っていた店のバーテンは、
シンガーソングライターで、
自費で数枚CDを出している男だった。
当時雇われのバーテンダーだったのが、
近くに自分の店を出し、また繁盛した。
彼の創る曲のレパートリーに「バーテンダー」と言う曲が加わった。
その頃の常連や知り合いを集めて開いたライブでその曲を歌った。
来ている人間が皆大爆笑!した。
曲は当時の俺の行状や暴言を歌にしたものだった。
そこにいる誰もが、俺のことだとはっきりわかり爆笑していた。
かくして、「バーテンダー」と言う曲もCDに収まった。
なんら感動的な話でもなく、身内受けだけの歌であるが、俺の当時の行状が、曲に刻まれた。日記並みの記録である。
しかし、嬉しかった。
“空気と光と友情と、それだけ残っていれば、
気を落とすことはない”と
先人の劇作家か哲学者が云っていたような・・・。
“自制心”も何も意識しない荒れた精神の時期の話だ。
それでも飲まずにいられない。
豪語している時期の話だ。
しかし酒や酒場は、
当時の僕を救ってくれていたのかもしれない。
精神科医に分析は頼まない。
よく父が酔いに任せて言っていたことがある。
自宅の座敷で宴会中である。
既に飲み干して倒したお銚子を指さして、
「お銚子をそこに10本、まっすぐに並べてくれ、
その上を火渡りのごとく、
たったったと乗って走って見せるから」
みんな、そんなことはできるわけがないと顔をゆがめながらも、誰かが並べ始める。
父が続ける
「んーん、思い出した私の父がよく言っていた言葉があった“あまり酒に酔って調子に乗るなよ”って」
みんな大笑いしているが、白けたはずだ。
男は、本物の男になるのに時間がかかる。
時間が掛かりすぎても生涯分からないやつよりは、
いいだろう。
幻惑する酒場は、いつまで僕を誘惑するのだろうか。
未だにシナリオのエンディングが書けないでいる。
次回は、新たなる幻惑されるバーがあったら誘惑されよう。乞うご期待!
(一旦おわり)
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人生楽しみましょう
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