武士の剣術流派として見えてきたのは戦国時代の後半かと思われます。

柳生雪舟斎のことを宮本武蔵が「五輪書」で伝えています。

 武蔵が勝負、勝負と殺し合いに明け暮れていた頃です。柳生新陰流の柳生雪舟斎に出会い、勝負を挑むが、素手の雪舟斎に立ちどころに抑え込まれてしまいます。いつの間にか床に倒れて動けなくなっていました。雪舟斉は、武蔵の心境を見事に言い当て、武蔵にこう悟したのです。

「お前の剣は自分のためだけの剣である。もっと強くなりたい、相手に勝ちたいという気持ちでいっぱいである。そのような剣を殺人剣と言い、人を寄せ付けなくなり、生涯孤独となるのが必致である。最後は弱ったところ殺されて野垂れ死にする。 それよりもその剣を世のため人のために活かしてはどうか、相手に勝つための剣ではなく己自身に勝つ剣とすればいかがか、そうなれば人を殺す術から人に道を示す剣となる。つまり、殺人剣が、活人剣となるのだ」ということでした。

 活人剣の理念は、禅僧沢庵和尚の「不動知神妙録」からも伝えられ、幕末の山岡鉄舟が開眼した〝剣禅一如〟という、剣は禅の如しの無刀流に流れていったと思います。

 そして、ご存知「武士道」は、明治になって新渡戸稲造がコピーライトしたもので、それまでは、そのようなキャッチフレーズは、ありませんでした。

「武士道」は、キリスト教者の新渡戸が外国人に、「あなたの国、日本の宗教は何ですか神道?仏教?八百万の神など信ずるものはあるのですか?わからない国民だ!はっきりした宗教もないのに道徳の教育はどうしているのですか?」と問われて、歴史を振り返り、悩み熟考し、英語で書いたものです。そして「武士道」という道徳を学ぶものがある、と。

 

 かの大作家三島由紀夫が愛した「葉隠(はがくれ)」は、その時代の武士として生きる精神性を深く説いたものでしょうが、決して割腹すれば武士とかというものではありません。私も深く読み解いていないので、皆さんご興味あれば読んでみてください。

 

吉田松陰の大和魂(やまとごころ)の短歌があります。

〝敷島の大和魂をたずねれば朝日に匂う山桜かな〟

武士とは、謙虚に彼方でささやかに美しく輝き、匂いを放ち、人に喜びを与える人をいいます。刀を抜かず、問題を解決し、さっと去っていき、そのあとに桜の匂いを放つとも。 

小生が、子供の頃憧れたハードボイルド小説の作家レイモンドチャンドラーの名言に、〝男は、強くなくては生きていけない。優しくなければ生きる資格はない〟とあります。これも武士の生きざまに通じるのではないですか。小生はこのように生きて来れたのか、自問の昨今です。

 

 さて、明治に入り、武士の身分廃止や帯刀の禁止といった法律が制定されたことから、剣術は一時低迷しますが、警視庁が訓練目的で剣道として取り入れました。幕末にあった五百以上の流派の術を纏めて、現代剣道につながる「剣道」として確立させたのです。明治末期に設立された大日本武徳会では、剣道指導者を鍛え上げ、日本各地に派遣し、大正時代には後の大戦による兵力強化や精神修練・鍛練を目的として、ふたたび剣道が普及しはじめたのです。

 第二次大戦後、GHQにより禁止されます。戦争に導く精神性、米軍が最も恐れた特攻精神が剣道にもあると、マッカーサーは、思ったのです。しかし、特攻で死する時、最後に叫ぶのは、天皇陛下万歳ではなく、〝お母さん〟でした。

剣道はスポーツであり、自己精神鍛錬のものであると理解されたとき、禁止は解かれました。それから今まで、しっかりスポーツ剣道、日本の伝統文化として確立しています。

 

「武士の伝言」として伝わったかどうかわかりませんが、先駆者、先人たちの実体験から出た珠玉の言の葉は、学ぶべきところがあるのではないでしょうか。

(了) (弐)に続く