さぼりがちな日記に戒めを!という事で、大学生らしく勉強の内容についてでも書いてみよう。
メルマガでもはじめてみようかと思っているのだけど、どういう内容で書けばいいのかもさっぱりだし
とりあえず書く習慣だけでもと思っています。
法学部、さらに専攻が憲法なので、自分の守備範囲内、つまり憲法の条文解釈論(大仰だけど、そんな立派には書かないです)とか、法学雑学などを続けていけたらと思います。
ではまず最初は、日本国憲法「前文」から行きましょう。
おさらい、というか知らない人は知らないでしょうが、『憲法』っていうのは国家と非常に密接なものなのです。
国家があるところには、かならずルールがあり、それは古代の王さまのわがままであったり近代以降の人権についてだったりと、その差は時代や国家背景、地域によって非常に違ってくるものなんですね。
著名な憲法学者は、近代憲法を『自由の基礎法』と呼ぶのですが、これは主に「国家からの自由」という意味なんです。
はい、知らないというのはココ。
国家、つまり広い意味での政府からの、自由(という名の権利)なんです。
憲法がバインドする(法的に拘束する)対象というのは、国の有力権力に対して、なのです。
さらに、憲法というのは、その国が持つ、その国の『最高法規』であり、条約という例外的なものを除いて、何よりも尊重、重要視されるのです。
そして、政府(ここでは公務員を指します)に対して、①憲法に逆らってはいけません、②反対してもいけません、③その行動もとれません、④反する法律は作れません、⑤作っていたら即修正します、⑥万人に平等かつ個人を尊重した社会を全力で作る事を約束します、⑦人は権力が集まると乱用してしまうので、そうならないように権力を保持する機関は分割します などなど、様々かつ広範な制約を科しています。挙げたものは代表的なもの、くらいの認識で良いと思います。
『国民』に対するものではない、という事は分かってもらえたでしょうか。
ただし、国民に対する義務は課しています。
そういったものは追々やっていこうと思いますが・・・
前置きが長くなりすぎましたので、いい加減前文についてです。
そもそも、『前文』というのはなんでしょうね。
主に、法律の一番最初にて、その法律の目的や精神を述べる文章です。
法律を読んで、解釈する場合、「目的論的解釈(もくてきろんてきかいしゃく)」というものが法律学では重要なものとされます。理由は大変難しいのですが、簡単に言ってしまうと、「法律概念の相対性」という、もっぱら言葉の意味の細かい差異があるから、なのです。
法文によって、前後の理論によって意味が変わってしまうのが、法律なのです。
そもそも長くしようと思えばいくらでも長くなってしまうものを、短く、わかりやすくした結果、といいましょうか。
つまり、その文章からは、こう意味がとれますね→いや、こうじゃないですか!という解釈の違いを争うのが解釈学というイメージをいただければいいのではないかと思います。
憲法の前文の場合には、憲法制定の由来、目的ないしは憲法制定者の決意表明などがもっぱらです。
当然ですが、それらは国によって違いますよね。だってアメリカと日本、中国は『同じ歴史』を歩んでいないのですから。
日本国憲法の場合は、国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言して、近代憲法に内在する価値・原理を確認している事で、前文にも法的な性質があると言えるのです。
難しいですね。
つまり、
それまでは一人ひとりが自由(権利)を持つ事など許されなかった
けれど、それは一人ひとりに生来与えられているものである。そしてそれは尊重されるべきだ!
ここから、個人主義(一人ひとりが尊重される価値観)が憲法のひとつの方向性であることがわかりますね。
それ以外の解釈は他の歴史的な価値観の変化などを理解していないとちんぷんかんぷんなので飛ばします。
日本国憲法前文(一部
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、~ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
『主権は国民にある』こと、さらに、『この憲法を確定する』ことから国民主権の原理(支配者と被支配者の同性)と、憲法制定の意思が国民によるもの(民定憲法性)を表明しているのですね。
さらに抜粋した後段では、国民主権による代表民主制の原理―たくさんの国民(支配者)の中から、代表を選びましょう(選挙)―を宣言したうえで、それを人類普遍の原理であると、説いています。
さらに、それらの原理はたとえ憲法を改正したとしても否定できないものだ、と言っています。
憲法が憲法を否定できないのはおかしい、と思うかもしれません。自らの限界をつくる事が正しい事なのかどうか、私にはわかりません。成長と呼ぶのか、退化と呼ぶのか。変化した事は、結局結果を見ないとわからないからです。
そしてこれは、憲法改正限界説や非限界説など、学説でも意見が分かれている事なのです。
さて、前文は非常に長く、今日のだけでまだ全体の1/4です。
明日、引き続きやっていこうと思います。
はじめだったので、前文自体より前置きや予備知識の方が長いですが
いろいろ形式を変えて試行錯誤していこうと思います。
まさか、ここまで読んでくれている人はいないと思いますが・・・・
ありがとうございますm(_ _)m
1学生としてののたまいではありますが、是非御意見お待ちしております。
