徒然なるままに書き記していきます。

 

毎日のように誰かが生まれ、誰かが死んでいきます。

 

今生きていると、つい忘れがちなのですが、

人は誰しも、生まれることも死ぬことも選べないということ。

 

当たり前みたいなこと。

 

じゃあ、今は?

今は何かを選べているのだろうか。

 

最近特に強く思うのは、どうやらすべてが決まっているということ。

毎日動ける間、右往左往して、喜怒哀楽に感情を任せ、

まるで自分の意思で過ごせているように感じてしまう。

 

だけど、ふと考えると、私たちは、私たちの周囲にある何一つ自分自身で作り出すことができない。

 

そして、毎日美しい水を汚して流している。

でも、その美しい水はどこから来たのか。だれがきれいにしてくれているのか。

下水を浄水して…

それを行っているのが自然だと感じるとき、なにか、ごめんなさいとありがとうという

そんな気すら起きてきます。

 

私たちは、誰かが作った食べ物と、誰かが作った着るものと、誰かが作った材料で作られた家に住み、

誰かが作った布団で寝て、誰かが作った何かにずっと包まれている赤子のようだと感じる。

 

どうか、自分に願いたい。

どうせ赤子ならば、純粋に生きられないかと。

 

人と争うことなく、自然を必要以上に壊さず、全てを尊重し、尊重され、

生きとし生けるもの全てが、お互いを傷つけず、不安に思わず、

満たされた気持ちで命が終わるまで安心して生きていけないものかと。

 

残りどれくらい生きることになっているか、

どんな風にこの世を去ることになっているか

わからないけれど、

 

生きている間は生きている、ということを聞き、

大切なことを忘れないようにと、ブログをはじめたのでした。