トゥールーズ・ロングステイ2023(17日目・その4) | 草木染の毛糸屋さん

トゥールーズ・ロングステイ2023(17日目・その4)

2023年9月21日(木)  カルカッソンヌへ一泊旅行

午後1時近い。電車に乗っていただけだから腹ペコというのではなかったが、2時を過ぎると食べ物がなくなると経験的に知っていたので、どこかで何か食べないと…と思いながら、シテに向かって歩いていた。食事するならカルノ広場が最適だったのだが、その時は観光案内所で地図をもらうことを優先したので、通り過ぎていたのだ。

イラストマップによればヴェルダン通りの先に、シテヘと渡るポン・ヌフがある。ヴェルダン通りを進んでいくと、緑が生い茂る大きな公園に出た。

公園は、地下の一部が公営駐車場になっている。公園に面して公衆トイレがあるので、公園に入る前に借りた。そして、道を渡るときにふっと見ると、アーチ形の窓が並ぶ建物がある。ジャン・ジョレス学校グループ(Groupe scolaire Jean Jaurès)と言い、公立学校だそうだ。ここでも、ジャン・ジョレスの名前に出会った。

写真手前の通りはジャン・ジョレス大通り(Boulevard Jean Jaurès)。時計のある黄色いファサードがポイントの校舎で、歴史的建造物に指定されているが、現役の高校だ。ジャン・ジョレス小学校もある。上の写真だとわかりにくいが、アーチ形の窓の上のグレーの色調のところは格子に鉢植えの花のモチーフが描かれている。

 

ガンベッタ広場(Square Gambetta)

公園に面して、両側に二つの三角屋根を備えた美術館がある。カルカッソンヌ美術館だ。
17世紀から19世紀の作品を中心に収蔵しているというが、今回は残念ながら訪れる余裕がなかった。きっと内装も素敵だろうけれど。
ガンベッタ広場にも紆余曲折が隠れている。19世紀には石炭広場(Place de Charbon)と呼ばれていたらしい。その広場と周囲の建物を合わせて公園として整備し、その過程で石炭広場はサント・セシル広場(Place Sainte Cécile)と名前を変えた。第二次世界大戦中はドイツに占領されて解体され、残ったのは2列のプラタナス並木だけというありさまになった。フランス風庭園に整備しなおして再オープンにこぎつけたのは1948年6月のことだった。その後もレジスタンスのモニュメントを置いたりして整備を続けたが、現在の形になったのは2015年だそうだ。
この広場に、コーヒースタンドがあった。店の前にはテラス席もいくつかある。メニューを見たら、クレープがあったので、注文する。はちみつをたっぷりすぎるほど塗ってくれる。(食べたものの写真はできるだけ取るつもりだったのに、この時は失念してしまった)
クレープの後でやっぱりコーヒーが欲しくなって、店に戻って注文する。と、マスターが日本語で「ありがと」と言った! びっくりしていると、フランス語で「マダムは日本人ですよね?」と聞かれたので、「なんでわかったんですか?」と返す。マスター、得意気に小さくガッツポーズ。後ろでバイトらしい若い女性が笑っている。コーヒースタンドには脚の長い椅子も3脚くらいあって、そこにお仲間たち(常連?)が座っていた。「ほら、僕の見立ては正しかっただろ?」。賭けでもしていたのかな? 外れたらコーヒーをおごるとか?
写真を撮りそびれたので、こんなエピソードがなかったら、ここでクレープを食べたこと自体忘れてしまった可能性が高い。
マスターたちにシテへの道を確認して、出発した。