モネ展(後) | 草木染の毛糸屋さん

モネ展(後)

2024年5月1日(水)  @大阪中之島美術館

印象派以前のモネのエピソードで記憶に残っているのは、初めてサロンに出した絵が高評価を受け、その後鳴かず飛ばずで苦しんだということ。ビギナーズラックと言ってしまえばそれまでなのだけど、そこで、その後も順調だったら印象派は生まれなかったかもしれなかったわけで、20世紀の絵画史は大きく違ってしまっただろうし、モネ自身も数枚の絵が美術館お買い上げになったかもしれないけれど、絵画史に残る画家にはなってなかったかもしれない。

ともかく、じたばた苦しみつつ、表現を模索していたモネが水面の揺らぎと光をとらえようと試行錯誤を繰り返す時期がある。これはそんな時期の作品。モネは同じテーマで何枚も作品を残している。

上半分は川岸の風景、下半分は水に反射した風景。ずっと後になって【睡蓮】の連作のころには水面だけを描いて水(や光の反射を表現していたけれど、この時期はまだ実写的な対象物が必要だったのかもしれない。

モネは絵の中に光や空気の揺らぎや時間の流れを感じさせたかったのかもしれない。時間の一瞬を切り取るのではなく、時間が流れていること、潮が流れていること、風が吹いていること、雲が形を変えていくこと… だから、同じ景色を異なる季節や天気に応じて何枚も描きたかったのだろう。そういう絵の中には、モネがテーマとしていたところとそうでないところのチャラさの落差が大きくて、作品の完成度としてはどうよと思うけれど、研究者にとっては面白いんだろうなと思わせるものもあった。

光と波の動き、揺らぎが面白いと思った作品。角度を変えると絵が微妙に変わるカードがあるでしょう、あんな印象。

ウォータールー橋の連作(41点が残っているうちの3点)はなぜか撮影OKだったので、撮影した。

ウォータールー橋、曇り

ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ

ウォータールー橋、ロンドン、日没

この3枚の絵は最初の1枚がダブリン、後の2枚がワシントンの所蔵。だから、3枚並べて見られるわたしたちは貴重なのかもしれない。モネが連作のつもりで描いたのなら、連作として41枚展示するのが画家の意図に沿うのか、それとも連作と言っているけれど、たくさんの習作のつもりなのか、わたしにはわからない。単独の絵として見たときに魅力があるとは思えないけれど、画家が様々な時間帯や天候や季節によって変わる微妙な変化を表現したい、あるいはそういう表現を学びたいと思っているのなら、鑑賞する方もそれを意識するべきなのだろうか?それとも描かれたものは、画家の意図とは関係なく存在するということなのだろうか?

そんなことを思いながら、最後の【睡蓮】にたどり着く。撮影OKの作品のすべてを撮ったわけではない。

睡蓮(連作最初期の作品、これがスタート)

睡蓮(実際の睡蓮と水に映る景色が溶け合う)

睡蓮の池(光を受けて水に映る景色の深みが表現される)

睡蓮、柳の反影(正直、タイトルがないと柳はわからない。水連は具象的)

睡蓮の池(ひとつの到達点だと思う、光が水面に吸い込まれていきながら、世界は絵の外側に広がっていく)

睡蓮の連作も、もちろん、ある特定のギャラリーにすべてが収められているわけではないので、こういう企画展で集中して見られるわたしたちは幸運なのだと思う。