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八幡へ紅葉狩り(その10)
2025年11月29日(土)@八幡市
東高野街道
八角堂の急坂を降りて、東高野街道へ戻る。北へ向かって500mくらい進むと八角堂を譲り受けた正法寺に着く。
歩いていると、途中の交差点が巨大な緑色の丸に塗られている。正体不明のまま写真を撮った。
この交差点の近くに、民家とお社が合体したような不思議な建物があった。民家の門にあたるところが鳥居になっている。
扁額に【泥松稲荷神社】書いてある。泥松(どろ松)というのは狸の名前だそうな。豆狸のような庵主さまとどろ松という狸のほほえましくも摩訶不思議な伝説がある。「どろ松大明神」と一心不乱にお祈りすると願いが叶うなどということは後になって知ったので、面白い建物だなあと思って歩き過ぎた。
ほかに出会ったのは…
電柱に張られた通学路:ランドセルをしょった少年少女が大口開けて笑ってる横顔が目を惹いた。
雨水溝の蓋に竹(八幡のシンボ)
京街道の碑
ここは東高野街道なのに!? たしかに【左】と書いてある。左に行けば京街道だよと言っているのね。
伏見まで二里半(約10キロ)、鳥羽まで三里(約12キロ)… 江戸時代の人は1日3,40キロは悠に歩いたというから、今からなら夕方までに伏見に着くななんて思ったのだろうか。
東高野街道の碑だってある、大分新しいが。
正法寺へは、えっ、ここ?と思うような路地を抜けると、駐車場に出た。注射の邪魔にならないようにだろうか、変わった形に選定された木(クスノキ?)が並ぶ。
八幡へ紅葉狩り(その9)
2025年11月29日(土)@八幡市
八角堂(2)
ご本尊
八角堂にはご本尊が鎮座されていたはずなのだが、現在はいらっしゃらない。ご本尊は阿弥陀如来坐像で、鎌倉時代の作。重要文化財だ。一時は京博に寄託されていたが、現在は正法寺の法雲殿に安置されている。この後参拝して、ご尊顔を拝することができた。
いただいたパンフレットに、昭和8年(1933年)にご本尊を修理した際の堂内の様子が掲載されていた。
あれこれと簡単な算数をしてみると、重要文化財に指定されてから、堂内の内陣に阿弥陀像のための収蔵庫を設置したのが10数年後、京博に委託するのはさらに30年以上たってのこと。この場所に阿弥陀様はひっそりと安置されていたのだ。正法寺は地階と言っても離れているし、防犯上の懸念はなかったのか。少なくとも20世紀末には懸念があったから、京博に委託し、今は手元に置いているのだろうと思うと、昔の日本は今よりもはるかに治安がよかったのか?
彩色
パンフレットには八角堂内部の彩色についても書かれていた。修復のたびに塗りなおされた彩色を平成の修理の際に調査し、昭和8年(1933年)のご本尊修理の際の写真なども参考にして、江戸時代と明治時代の彩色や紋様を明らかにしたという。
明治時代の彩色を復元して、建物全体を塗りなおしたのが現在の八角堂だそうだ。一部は塗りなおさず、保存している。
柱の彩色復元図と復元後の様子
鬼瓦
屋根には16面の鬼瓦が載っているが、その表情はすべて異なる。鬼瓦の多くは元禄11年(1698年)の再興時のものや寛延元年(1748年)の修復時のものが使用されている。その中で、東北東の角にある鬼瓦は三つの顔を持つ珍しいものだそうで、その写真がパンフレットに掲載されていた。
このパンフレットは八幡市教育委員会文化財課が作成したものだけれど、たった4ページに凝縮された知識が詰まっている。素人が読むことを前提として読みやすくわかりやすくまとめられている。八幡市が文化財や地元の歴史を大切に守るだけではなく、伝えていくことも大事にしていることの証だと思う。
八角堂の周囲を彩る紅葉
八幡へ紅葉狩り(その8)
2025年11月29日(土)@八幡市
八角堂(1)
紅葉の枝が眼前に陰を作る細い急坂を上ると、いきなり開けた場所に出て、このお堂が現れた。平成31年(2019年)3月に保存修理を終えたばかりで、丹塗りと白漆喰が鮮やかだ。
八角堂は石清水八幡宮の境内にあった仏堂(石清水八幡宮は神仏習合の宮寺だったから、仏教施設も多数残っている)で、創建は鎌倉時代の建保年間(1213~1219年)、順徳天皇の発願により建立されたと言われている。明治の神仏分離令により石清水八幡宮から仏教施設を取り除くことになった時に、正法寺の住職が八角堂が失われるのを惜しんで、ご本尊ともども譲り受けて、この地に移築した。ここは西車塚古墳という前方後円墳の後円部にあたる。東車塚古墳といい、明治時代には古墳は史跡として大事にされていなかったのだろうか。
石清水八幡宮が国の史跡に指定されたときに、ここもあわせて史跡となった。
パンフレットより堂内の写真:堂の前に結界が張られているので、わたしたちは中を覗いただけだったが。
ところで、現在はお堂しかないのだが、正法寺がここに移築した際には、八角堂の東に庫裡、南に茶所を設け、一帯を八角院と称していたという。明治16年の配置図が説明板に記されていた。その後、八角堂以外の建物は昭和50年代に撤去された。
八角堂は、上の図でもわかるとおり、真上から見ると正八角形ではなく、四隅を切り落とした八角形になっている。これは石清水八幡宮に特有の形状だそうで、八幡市では隅切形八角形と呼んでいるとのこと。
八幡へ紅葉狩り(その7)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(7)
庭園から出ると11時半だった。昼食には少し早いけど、この辺って食べるところあったっけ? すぐそこに吉兆はあるけど…
外にメニューが出ていた。食事がメインならありだけど、今日は散策がメインだし、まだまだ拝観料を払う場所もありそうだし。まあ、無理やな。残念やけど。
外に出てはじめて気が付いた、松花堂と刻まれた碑に。
八角堂へ向かう
月夜田の交差点を曲がって、松花堂庭園の塀に沿って進むと、門が現れた。結界が張られているが、これが松花堂の玄関だそうだ。東車塚古墳と書かれた碑も見える。
さらに進み、東高野街道とぶつかるY字路に【水月庵】という碑が建っている。ここでY字路をくいっと鋭角に曲がって進むと、ほどなく右手に八角堂の受付が見えてくる。
水月庵は水月寺のことで、昭和の前半までは水月庵と呼ばれていたそうだ。この碑の場所から20分以上歩いたところにある。もともとは阿弥陀堂と呼ばれて地元の人たちの祈りの場だったところを、後に男女平等に修行と悟りを開ける場として作られたが、現在では修行の場としての色合いはなくなり、残された寺院が祈りと供養の場として残されている。
東高野街道に面したところに作られた受付でチラシをもらう。八角堂はすぐそこなのだが、すぐそこまでは驚くような急坂だった。
八幡へ紅葉狩り(その6)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(6)
松花堂庭園(続続)
草庵【松花堂】
草庵の門の手前にある石碑、「不許酒肉五辛入門内」と書かれている。修行のさまたげになる酒、肉、においの強い5種類の野菜(ニンニク、ニラ、葱、ラッキョウ、のびる)を境内に持ち込んではならないという意味。
内園へ入る門
この門からは見えないが、そこからL字型に曲がったアプローチを進むと、草庵の門がある。
松花堂
昭乗が隠居後に建てたわずか2畳の建物で、茶室にもなる。晩年の3年ほどを過ごした。びっくりするほど狭い。およそ家財道具を置けるようなスペースはない。お茶席ではいくらかのお道具がいるだろうから、それ以外の日常生活のためには最低限生きていくのに必要なものだけで暮らしていたのだ。加賀藩主との交流もあった高名な文化人が、寛永という華やかな時代に、ここまで質素な暮らしをしていたのか。
折上げ天井の網代に編まれた藤は明治の移設時に新調されたもので、土佐光武の手により日輪と鳳凰が極彩色で描かれている。移設前の天井にも藤が張られていたのかしら? それは腐っていたから新調した? 画をものする昭乗だから、自分で書画を製作して、天井にあげたということもあるかもしれないけれど、そうはしない気がする。
おくどさん
この前に昭乗椿の札があったけれど、椿の写真を撮ってなかった。花の季節ではなかったので、うっかりした。花の季節ではなかったが、紅葉はすっかり色づき、青い空に生えていた。
東車塚古墳
松花堂から修復中の泉坊の脇を通って内園の中を歩いていると、こんな案内を見つけた。
ミュージアムウォークには参加していないが、古墳ということばに惹かれて、順路をたどってみることにした。林の中に入っていくと、イベントに参加しているらしい軽装の人々が数人ずつのグループを作って歩いている。内園と駐車場の間の柵に沿って進むと、こんもりした小山が見えてきた。古墳だ。
石碑には【山代之大筒木真若王命御墓参考地】と書いてある。
つまり、松花堂庭園はもともと古墳があった場所に作られたということになる。本来は前方後円墳だったが、現在は後円部のみが築山として残っている。山代之大筒木真若王は【古事記】に登場する男神で、開化天皇の孫、神功皇后の曽祖父にあたる。岐阜県の高坂神社のご祭神になっているそうだが、八幡市との関係はわからない。日本書紀には記述がない。
根性が半端ない木があった。横倒しになったところから伸びた枝がすっくと天に向かって伸びている。
戻り道。緑の中に紅葉が映える。
八幡へ紅葉狩り(その5)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(5)
松花堂庭園(続)
茶室【梅隠】
千宗旦好みの四畳半茶室を古図に基づいて松花堂美術館名誉館長の中村昌生氏が再現した。
その手前に【水琴窟】という案内板を発見。
地面に首だけ出している甕を探すが、それらしきものは見当たらない。あたりをうろうろしていると、梅隠でお茶会を開くという人たちが教えてくれた。水琴窟は甕じゃなくて、地面に埋められた竹だった。
竹の口に耳をつけると、澄んだ音が聞こえる。
昭乗垣
竹垣の奥に修復中の建物が見える。大阪北部地震で被害を受けた泉坊書院。
修復中だから通常は中には入れないが、この2日間だけ特別に階段を上って一部を見学できる。京都府の登録有形文化財。石清水八幡宮の僧房のひとつで、9畳の玉座の間と8畳の次の間などの遺構が明治31年(1898年)に上棟されたものだそうだ。修復後に改めて見る機会があるといいんだけど。
八幡へ紅葉狩り(その4)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(4)
特別展:加賀藩の美術工芸と松花堂昭乗(続続)
石清水八幡宮は江戸時代に加賀藩と文化的な深いつながりがあった。特に、加賀藩2代目藩主・前田利常は茶の湯や芸術に造詣が深く、書画や茶の湯の名手である昭乗を高く評価し、深く交流した。さらに、昭乗の門人を自分の祐筆にするなど、その関係は深かった。そういう縁で、石清水八幡宮には前田家の書状や寄進状などが残っている。
また、この特別展では石川県立美術館からの出陳品も展示されていた。パンフレットに掲載されているものでは、松花堂角釜(前期出品だったので見ていない)と昭乗作の竹茶杓
沈金獅子文膳と堆朱布袋図香合
松花堂昭乗という文化人の深い教養とそれに裏打ちされた書画の世界、その精神性に引き寄せられた人々の交流の輪…。ひとりの人間を軸に空間方向にも時間方向にも豊かな世界が広がっていくのを感じた展覧会だった。
松花堂庭園
2万平米もの広い庭をぶらぶらと散歩する。だから見落としもたくさんあると思うけれど、それはそれで構わない。松花堂や泉坊書院のある内園とそれを囲む外園があるが、この時はそういうことは意識せず、順路があればそれに沿って、わからなければ適当に散策した。
入口
どことなく寂しい晩秋の庭。
空は抜けるように青い。
紅葉
池に鯉
八幡へ紅葉狩り(その3)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(3)
特別展:加賀藩の美術工芸と松花堂昭乗(続)
そして、いよいよ昭乗の書画が登場する。この特別展の出品作全部の中で一番気に入ったのが、【鶏図】(部分)。出品リストの表紙に載っていたもの、カラーパンフに載せてほしかったな。
それから【雉子図】(部分)、パンフレットの表紙から切り抜いたので、ほかの作品が入り込んでしまった(残念)。
松花堂昭乗自画像写し(細合半斎)上に同じ。
細合半斎は江戸中期の儒学者で、書を昭乗の流れを汲む滝本流に私淑した。昭乗の死後100年近く経て生まれたので、もちろん直接会ったことはない。
法童坊孝以の見事な書もあった。彼は昭乗に書画を学んだ。特に、書に秀で、三の鳥居の銘文を書いたという。
松花堂といえば弁当。そのもとになる四つ切塗箱も展示されていた。
昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントに上のような器を作り、絵具箱や煙草盆として使っていた。それが松花堂弁当に発展するのは昭和の初めのころで、大阪桜宮の茶室【松花堂】の茶事の際に、吉兆の創始者となる湯木貞一がこの器で茶懐石の弁当を作ったのがはじまりだという。湯木は深さを深くし、汁気の多いものを入れる器を付け、蓋を用意して、今につながる弁当箱を仕上げた。松花堂の焼き印も入れたそうだ。
それが縁なのだろう、松花堂美術館には京都吉兆松花堂店がある。
それはともかく、この塗箱は19世紀(江戸時代)の作。朱漆と黒漆を塗り重ね、各面に水仙、燕、翡翠、菊が描かれている。弁当箱として使われるようになったのは昭和に入ってからなので、江戸時代は贅沢な煙草盆だったのだろうか。それとも菓子盆?
八幡へ紅葉狩り(その2)
2025年11月29日(土)@八幡市
松花堂庭園・美術館(2)
松花堂美術館は一見すると美術館というより市民センター風、というより市民センターなのかもしれない。美術館は地階にあって、エレベータで降りる。すると、別世界が広がっているのだ。
松花堂美術館は一見すると美術館というより市民センター風だ。地上階は講習室が館内は撮影禁止だったのだが、上のパンフレットが2つ折り4ページなので、そこから写真をコピーすることで作品を少し紹介できる。
松花堂美術館は松花堂昭乗や門人、交友に関する資料や作品をおよび八幡市にゆかりのある美術品や資料を収蔵展示するとともに、春と秋には企画展も開いている。
まずは松花堂昭乗についてビデオで学び、その作品を鑑賞する。
松花堂という名は松花堂昭乗(天正12年(1584年)~寛永16年(1639年))という石清水八幡宮に仕えた僧侶の名にちなむ。彼は、男山の山腹にあった僧房【滝本坊】の住職で、茶の湯、書、絵画に秀でた文化人としても知られていた。特に書で名を馳せ【寛永の三筆】のひとりに数えられている。彼は隠居後に男山の東麓にあった泉坊という宿坊に移り住み、その一画に草庵を建てた。その草庵を【松花堂】と名付け、自らも松花堂昭乗と名乗った。
明治の神仏分離により宿坊が撤去されると、松花堂と書院を現在の場所に移築した。松花堂およびその跡は国の史跡、松花堂および書院庭園は国の名勝に指定されている。
開催中の企画展はこれだった。大きな美術館みたいに常設展と企画展を分けるような展示にはなってないので、昭乗の作品を見た流れで、加賀藩の工芸品を見るという具合。
特別展:加賀藩の美術工芸と松花堂昭乗
まず、八幡市にゆかりのある作品や八幡市で出土した器などが展示されている。
上のパンフレットの表紙(の左上と右下)に載っている萩之坊乗円の【男山図】。乗円は石清水八幡宮の真言僧で昭乗の弟子、画は昭乗に勝るとも評された。
それから、もてなしの器。八幡南山焼といって、江戸後期から昭和にかけて断続的に作られた【幻のやきもの】だそうだ。
【祇園社遊楽図屏風】(部分)
パンフレットの表紙の四つ切塗箱の左と下にいる人々も多分この屏風から切り抜いたものだと思う。桃山から江戸にかけて人々が花見をしたり歌舞伎踊りをしたりという当時の最新流行を描いた遊楽図屏風が流行ったようだ。国宝に指定されているものもあるほどで。
八幡へ紅葉狩り(その1)
2025年11月29日(土)@八幡市
数日前、駅でこんなチラシをゲットした。
八幡は隣町で、石清水八幡宮には何度か参拝しているものの、松花堂庭園すら訪れたことがなかった。チラシを見ると、訪れたくなるようなお寺社が満載だ。
それで、秋の1日を八幡散歩に出かけることにした。
京阪の石清水八幡宮駅を出ると、目の前に観光案内所がある。もう少し情報をもらおうと近づくと、中から女性スタッフが出てきて、周辺観光散策マップをくれ、廻り方のアドバイスをしてくれた。まず駅前から京阪バスで【大芝・松花堂前】まで行って松花堂庭園を訪れ、そこから順にバス通りに沿って途中のお寺社に参拝しながら石清水八幡宮駅に戻るルートをとることにした。
松花堂庭園・美術館(1)
庭園をめぐる前に、美術館に寄った。草庵【松花堂】を営んだ松花堂昭乗や庭園についての基礎知識を得てから、庭園に赴く方が良いと考えたのだ。
庭園と美術館の共通券を購入。
パンフレット
嬉しい驚きだったのは、受付でポストカードをプレゼントされたこと。いくつかの種類から夫とわたしで1枚ずつ選ばせてもらった。
茶室【松隠】の花頭窓(秋)
草庵【松花堂】
八幡市の市政45周年記念2022のデザインマンホールが飾られていた。
八幡市出身のイラストレータ堀口悠紀子さんの作品で、これを含めて3種類あるそうだ。後で八幡市のホームぺージを見たら、3つのマンホールの設置場所が明記されていた。そのうちのひとつは石清水八幡宮駅の駅前広場だったのに、まったく気が付かなかった。そういう目で探さないと案外気が付かないのかもしれない。































































