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ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その8・終)
2025年11月22日(土)@高知市
よさこい踊り
こちらに来て、こうち旅広場で土日祝日にステージでよさこい踊りの披露があることを知った。週替わりで様々なよさこいチームが踊るという。13:30開始なので、それに合うようにラーメン博から高知駅に戻った。
めっちゃかっこよかった!北海道の人たちがこれを見て、ソーラン節もこんな風にしたいとよさこいソーランを考案したという話を聞いていたけれど、その気持ち、よくわかる。高知に育ったら、わたしもよさこい踊りに夢中になっていたと思う。
ステージの裏に巨大な鳴子があった。
最終日を、当初予定していなかったラーメン博とよさこい踊り観賞で締めくくることができてすこぶる満足。休日に開催されるイベントもあるから、平日に旅行できる身分になったとしても休日を被らせることは大事だなと学習した。
アンパンマン列車
こんな風にぎりぎりまで遊んでいたので、特急にはぎりぎり飛び乗る形になった。それで、せっかくのアンパンマン列車(実は乗るときまで知らなかった)だったのに外装の写真がない。
車内の天井にアンパンマンたちがいた。
すっかり高知に魅せられて帰阪した。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その7)
2025年11月22日(土)@高知市
城西公園を出て、路面電車の枡形駅に戻る途中、江ノ口川にかかる円満橋のたもとでカンナが群生していた。
寺田寅彦記念館で大分時間を使ってしまったため、もう昼近かった。高知駅に戻って昼食をとることも考えたけれど、枡形で路面電車に乗っているときに、そういえばラーメン博やってるんだっけと思いついた。それで急遽堀詰駅で降り、会場になっている東洋電化中央公園に急いだ。
ラーメン博
チラシの上半分
最近は若い頃のようにラーメンを食べ歩くなんてこともなかったし、ラーメン自体あまり食べなくなっていた。
ラーメンは老若男女問わず人気。家族連れもカップルも部活買えりらしいジャージの中高生も… 何店舗出てるのかしらないけれど、どの店も行列ができている。席もいっぱいだ。とはいえ、ラーメンなので回転も速い。少し見ていると、近くの席があいた。席を確保して、チケットを買いに行く。
お店の名前は忘れてしまったが、静岡のラーメンだったと思う。美味しかった。
若い人たちは2,3杯は食べられるんだろうけれど、わたしはこれでお腹いっぱい。
箸袋を記念に持ち帰った。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その6)
2025年11月22日(土)@高知市
城西公園(再び)
行きは江ノ口川に沿って外周の道を歩いたが、帰りはせせらぎに惹かれて小川沿いの道を通ることにした。外周の道もゆるやかなS字を描いていたが、こちらも橋で小川を渡りながらS字を描いて続いていく。歩き進むにつれて見える景観がゆるやかに変わる。手入れしすぎない、ほどよく自然というか野性味を残したたたずまいも土佐の気風に合っているのかもしれない。
小川の端っこ。湧き水ではなく、地下水を利用して水位を保っているらしい。
京都のお庭を、良い意味で2周りくらいワイルドにした感じ。自然がのびやかに息づいている。
花梨の実?
とりどりに色づいた秋の木々の周りで、ボランティアの人たち10人ほどが手入れをしていた。ここののびやかな自然は彼らの手によって維持されている。
さらに進むと、緑地の様子が中国風になった。
蕪湖園と書かれた巨石がある。裏面に「中国の蕪湖(ぶこ)市との友好都市提携の調印を記念し、ここに蕪湖園を開園する 1985年4月 高知市長 横山龍雄書」と書かれている。【書】というくらいだからご本人の揮毫なのだろうけれど、きれいな字。
モニュメント【一衣帯水】:上の石碑から20年後に提携20周年を記念して、蕪湖市から贈られた。ふたりの少女が各々高知市と蕪湖市を指し、ふたりが履いている1枚のスカートの裾が水のように溶けあって一体化され、両市の友好を表現している。
なお、蕪湖市にも高知園という庭があるそうだ。
高知城の見事な石積みが残っている。
黄色に染まった銀杏並木
存在感のある木
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その5)
2025年11月22日(土)@高知市
寺田寅彦記念館(2)
小一時間ほども、座卓に座って話を伺っていた。楽しい時間ではあったけれど、そろそろ室内を見学させてもらう頃合いだ。お礼を言って、席を立とうとすると、「ひとつお願いがあるのですが」と紙を差し出された。寺田寅彦を朝ドラにという運動の署名だった。わたしたちは快く署名した。牧野富太郎、やなせたかしに続けとばかりに運動しているのだという。すると、「実はライバルがいるんです。ジョン万次郎。桂浜の方でも署名をやってると思います」。
昨日桂浜に行ったけれど、ジョン万次郎を朝ドラへの署名は気が付かなかった。ジョン万次郎なら朝ドラより大河向きだと思うけれど。
座敷の床の間 わたしたちはこの前に置かれた座卓で話をしていた。
この座敷で、寅彦は最初の妻夏子さんとの結婚披露宴を行った。寅彦は若くて可愛らしい夏子さんを大切にしていたそうだ。
オルガン ベルリン留学の際に夏目漱石に預けた。オルガン自体が一種の芸術品だ。今でも弾くことができる。
寅彦の手紙
寅彦の絵画
旅行鞄
寅彦と彼の弟子中谷宇吉郎はともに小惑星の名前になった。
寅彦の有名なことば【天災は忘れられたる頃来る】が埋め込まれた石板
帰りがけに、玄関で二つのハンコ(レプリカ)を紙に押した。寅彦が自著の奥付に押印したハンコと自作の洋画にサイン代わりに押印したハンコだ。
また、寅彦記念館周辺のウォーキングマップをもらったが、そこに印刷されている高知が誇る偉人たちの銅像には恐れ入った。
銅像が好きな県民性というのもあるのかもしれないけれど、高知出身の偉人はこんなにいたのかと認識を新たにした。土佐藩は山内家が支配していたけれど、それ以前の長曾我部に対する敬慕の情や畏敬の念が山内家に対するそれに劣らずに強いことを感じた。
教科書でしか知らなかった寅彦に興味を持ったわたしは帰阪後俄然興味を持って図書館で文庫本を取り寄せて寅彦を読んでいる。手始めに【教科書名短編科学随筆集】を借りた。これには寅彦だけでなく、湯川秀樹や中谷宇吉郎などの随筆も載っていたが、圧倒的に寅彦は面白かった。それで続けて【読書と人生】【科学と文学】を読了し、今は【科学歳時記】を読んでいる。わたしの中でしばらくブームは続きそうだ。
とはいえ、いかんせん、ここで時間を使いすぎてしまった。大川筋武家屋敷や山内容堂はあきらめるしかないだろう。わたしたちは再び城西公園を通って、路面電車の枡形駅へ戻ることにした。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その4)
2025年11月22日(土)@高知市
寺田寅彦記念館(1)
google mapの言うとおりに行ったら、なぜか門ではなく、裏側から入ることになってしまった。変だなと思いながらも、【高知市指定文化財史跡 寺田寅彦邸跡と居室】という立札があったので、裏庭だったのであろうところから侵入した。
後で知ったことでは、この建物は寅彦の居室(勉強部屋)で、6畳間と四畳半くらいの板敷の間、それに縁側を備えている。母屋と茶室は昭和20年(1945年)の高知市大空襲で焼失したが、ここだけが残ったそうだ。移築後、平成元年(1989年)に改築された。
居室の前から母屋の裏側を見る。
空襲で焼ける前の寺田邸は、寅彦の父・利正氏が明治13年(1880年)頃に購入したもので、敷地は現在(404坪)より広く建坪は100坪を超えていたという。現在の建物は寅彦の長男所蔵の家相図や寺田家の人々の記憶や古写真をもとに母屋と茶室を復元し、居室を移築した。
寺田寅彦は、国語の教科書に随筆が採録されることでその名を知った人が多いと思う。明治11年(1878年)に東京で生れ、明治14年(1881年)に高知へ引っ越してくる。江ノ口小学校、県立尋常中学校を卒業後、熊本の第五高等学校へ進み、そこで教員をしていた夏目漱石と出会う。その後、東京帝国大学物理学科へ進学し、実験物理学を首席で卒業。ベルリン大学へ留学。東大地震研の教授や理研の研究員として働く。物理学者として250篇の論文を発表する傍ら、随筆や評論、俳句など文学にも多大な足跡を残した。
とはいえ、わたしは教科書に掲載された随筆しか読んだことがなかった。夫はずいぶん読んでいたようだったが。
ともかく、居室の脇を通って母屋の表に出て、改めて門を確認した。
門と塀は異なる石を使った石積み。門の石積みの石の組み合わせが芸術的。
石積み塀
門を入ってすぐ広がる枯山水庭園。これは母屋の復元時に作庭されたらしいのだが、植栽は寅彦の随筆を参考にしている。
庭を拝見していると、座敷の方から声がかかった。お誘いを受けて、母屋に上がらせてもらう。
パンフレット
母屋の座敷に座って、学芸員(?ガイド?)さんから話を伺う。彼女は心から寅彦に心酔しているようで「寅彦先生が、寅彦先生が…」とまるで直に薫陶を受けたように、嬉しそうに、寅彦に関するさまざまな逸話を話してくれた。中学校の早期入学試験に失敗するが、翌年優秀な成績で合格し、2年生に飛び級になったこと、中学を優等で卒業し、熊本の五高に無試験入学したこと、そこで漱石と出会ったこと、学生結婚した最初の妻が早世してショックだったことなど。
数冊の本を読んでいた夫とは話が合って、いつまでもしゃべっていた。
お茶室の前に置いてあった石
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その3)
2025年11月22日(土)@高知市
江ノ口川沿いの道
城西公園の北東の角にかかる小津橋を渡れば、寺田寅彦記念館はすぐだったのだが、この橋が補修中だったため、ひとつ先の高坂橋まで江ノ口川沿いを歩いた。
月決駐車場
高知県では、月極ではなく、月決とかくのが50%以上だそうだ。北海道、青森、秋田にも多いという。わたしの周囲では見たことがなかったので、素直でわかりやすい。江戸時代には【決】という感じは【極】と書いていたとか。ちょっとしたことにも長い歴史的な背景があるんだなとひとつ賢くなりました。
この看板のある駐車場はかつて尾戸焼の窯があったとのことで、石碑が建っている。
碑の隣の石等によると、承応2年(1653年)、野中乾山が摂政の時、摂津高津(大阪市)の陶工久野正伯を招いて小津尾戸で焼き始めたのがおこり。土佐藩の御用窯として発展した。能茶山で採れる赤土を使用し、茶道具に限らず日用品も生産していた。現在も2軒の窯元が技法を受け継いで作陶している。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その2)
2025年11月22日(土)@高知市
城西公園
公園の外周になっている緑道。植栽の間にくねくねと曲がって伸びた道を犬を連れた人や連れていない人が散歩している。
【日中不再戦】と大書された碑があった。
石板によると、過去の侵略戦争を反省し、二度と日中両国で戦争をしないことを誓うべく、日中国交正常化20周年を記念して、平成4年(1992)9月18日(満州事変勃発の日)に建立された。以来毎年9月18日には平和を誓う集いが城西公園で開かれている。
この碑は、日中友好協会県連合会などが提唱し、25年の歳月をかけて、多くの県民からの募金で建てられたという。同様の碑は京都や長崎などにもある。
震災などと並んで、歳月に風化させてはならない記憶のひとつだ。
桜馬場橋から見る江ノ口川
桜馬場の由来を示す立札
それによると、かつては高知城西大門から西に江ノ口川を隔てた対岸に河原があり、寛文元年(1661年)にその一部を埋め立てて馬場とした。桜を植えて、桜馬場と名付けた。
さらに進むと、【江ノ口川浄化祈念碑】というものがあった。
高札形の説明板等によると、藩政期には城下の飲み水として使われるほどきれいな水で、自然にあふれ、生活の場であり憩いの場でもあった。しかし、昭和25年(1950年)に流域内にパルプ工場が建設され、家庭排水や工場廃液が流入することによって、汚濁がひどくなった。昭和45年(1970年)より河川浄化事業に取り組み、石積みによる環境護岸やヘドロの浚渫を行ってきた。昭和47年(1972年)の水質汚濁防止法に基づく排出基準が県条例により施行されたのに伴い、パルプ工場は年内で操業を停止。実は前年に生コン事件というとんでもない事件も起きている。汚染源の重大なひとつであるパルプ工場の排水管に浦戸湾を守る会が生コンを流し込んだのだ(ここでは深入りしないことにする)。平成10年(1998年)には流域住民と行政が参加して江ノ口川水質浄化検討会が発足、バイオコードによる水質浄化や啓もう活動などに取り組んでいる。この祈念碑は平成13年(2001年)に浦戸湾を守る会などによって建立された。
汚濁がひどかった時代の江ノ口川も藩政期の清らかな江ノ口川も知らないが、現在の江ノ口川はこうなっている。給餌する人がいるのだろうか、鴨たちが集まっている。
木漏れ日の小径
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(3日目その1)
2025年11月22日(土)@高知市
入明駅まで
今日は武家屋敷、寺田寅彦記念館、山内容堂像、旧土佐藩下屋敷長屋後あたりを散策して、午後2時過ぎの電車で帰阪する予定だった。
宿で、昨夜買っておいたパンとコーヒーとカットフルーツ&サラダの朝食を摂り、入明駅まで歩く。昨日と同じ道を歩いていると、昨日は気づかなかった(あるいは、なかった)タイのトゥクトゥクが個人のお宅の軒先に停めてあった。
これも個人のお宅だが、アプローチに三石耐火煉瓦SK32が敷いてあって、それがとてもおしゃれだった。
入明から高知まで電車に乗り、とさでんの1日乗車券を買って、路面電車に乗る。夫が若い頃、寺田寅彦を大分読んだというので、まず彼の記念館に行くことにした。はりまや橋で路面電車を乗り換え、枡形で降りる。駅前の商店街を抜けて、江の口川に沿って歩いていくと、右手に緑地が広がっている。高知公園から続く城西公園だ。地図を確認すると、高知公園の1/3位の広さがあって、結構広い。武道館や各種スポーツのコートがある。後で知ったのだが、旧高知刑務所があったところだという。
城西公園を対角に抜けて橋を渡れば、すぐに目的地。なので、わたしたちは城西公園を斜めに突っ切ることにした。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(2日目その15・終)
2025年11月21日(金)@高知市
帯屋町アーケード商店街にて
ひろめ市場を出ると、すぐ横の商店街を入ったあたりから金管楽器の音が響いてくる。音合わせをしたり、楽器を温めたりしているようだ。制服を着ている。高知県警の警察音楽隊だ。警察以外に、地元のマスコミも来ているし、横断幕の感じからは市長も来るようだ。もうじき夕方5時なので、おそらく5時スタートでパレードが行われるのだろうと見当がつく。
アーケードの天井からの下がり壁(?)に絵が可愛い。
お決まりの挨拶があって、音楽隊はスタートした。【繁華街防犯パレード】で、客引きやスカウト行為の取り締まり強化や暴力追放を訴えてのパレードだそうだ。わたしたちは、チンドン屋の後をついていく昔の子どもたちのように、パレードの後をついてアーケード街を端から端まで歩いた。
音楽隊の後に、啓発ののぼりを持った商工会議所青年部のひとたちなどが続く。
龍馬誕生ののぼりも発見。
パレードのゴールにあたる商店街の端っこが東洋電化中央公園につながり、そこでは今日から日曜日までの3日間ラーメン博が開かれている。
中央公園の入口にあった汽車形の掲示板
わたしたちは、そのそばの大丸の中のドンクで翌朝のパンを買い、土佐御苑という旅館に向かった。土佐御苑は老舗旅館だが、日帰り温泉を利用できるのだ。
温泉を堪能し、路線バスを探して入明のわが宿に帰った。温泉につかったおかげで、散々歩いた足も軽くなった。
時間はまだ9時くらいだけれど、すっかり良い気分で眠りについた。
ビアズリーを見に高知へ2泊3日(2日目その14)
2025年11月21日(金)@高知市
ひろめ市場
ひろめ市場に到着。まだ午後4時くらいだけれど、早めの夕食にするつもり。
脇の壁に馬路村の特大パネルが掲げられていた。
ひろめ市場の入口前のスペースは、屋外なんだけど倉庫みたいに感じられる。このスペース自体もイベントスペースとして使われるのかもしれない。
ともかく、ひろめ市場の看板の下のビニールカーテンをくぐって中に入ると、壁際にずらっと店が並び、真ん中が6人掛けのテーブルが並んだ飲食スペースになっている。さまざまな種類の飲食店が60店舗くらいあるという。
午後4時ですでに席を探すのに努力がいるような状態だった。が、4人の若者が座っているテーブルを見つけ、相席させてもらうことになった。彼らは2組のカップルで、女の子ふたりが大学時代の友だち、彼氏たちはこの日がはじめましてだったそうだ。大学生かと思ったら、全員社会人とのこと。彼氏Aは高知ではないけど四国の人、彼氏Bは広島から来た。
「ここ、初めてなんだけど、お薦めとか教えてくれる?」と尋ねると、「やいろ亭のカツオ塩たたきと刺身のセット」と言う。アドバイスに素直に従い、ほかにノンアルのビールとたこ焼きを買って席に戻ったら、彼氏たちしかいない。彼女たちはビールやつまみを買いに行ったという。
初顔合わせの彼氏たちにとってもわたしたちが緩衝剤になるみたいで、思いがけず4人で話が弾んだ。
彼氏Bが「おふたりはどれくらいのおつきあいなんですか」と言うから、「あなた方が生まれる前からよ」「うちの息子たちはもう30代だからね」と言うと、驚いていたが、何に驚いていたのかはわからない。そんなに長く付き合えるものなのかと思ったのかもしれない。
というのは、続けて彼氏Aが「長続きする秘訣ってありますか?」と尋ねてきたから。夫が「妻を大事にすること」と即答していたけれど、あえて否定はしないでおいた。わたしが「言い合いになって、彼女が黙ってしまったら、自分が言い負かしたと思わない方がいい。むしろ、こいつと話をするのは無駄だなと彼女が感じているということ。考えが違うのは構わないけど、相手の言い分を理解しようとするのは大事だからね。彼女が黙りがちなったら、かなりやばいと思った方がいい」などと言っているうちに二人の女の子が手に手にいろいろ抱えて戻ってきたので、話を中断させた。
塩たたき、とても美味しかった。
若者たちにはまだ宵の口だが、老夫婦は先に失礼することにした。
































































