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トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その9)
2023年9月23日(土)
キャピトル劇場でもらった紙類
トゥールーズでは驚くほど様々な紙資料が手に入る。どれもきちんと編集されていて、美しい写真やイラスト、わかりやすい説明が満載だ。ただトゥールーズ滞在中に目を通す余裕はなく、帰国してから順番に読んでいる。滞在中に知っていたらよかったなという情報が出てくると、ちょっとへこむ。
キャピトル劇場の季刊誌【VIVAGE!】は前項でも触れたけれど、ものすごい充実の雑誌だ。専用の劇場、バレエ団、管弦楽団があるだけに、キャピトル劇場での公演数は多岐にわたり、数も多い。年パスを持っている会員も多いのだろうなと思う。
わたしがもらった秋号はこれ
オペラ【ボリス・ゴドノフ】で着用された衣装が並んでいる。ピエール・アンドレ・ウェイツのデザインだ。本文ページに関連記事が掲載されている。見るからに厚みの感じられる雑誌だと思うが、全60ページ、フルカラーだ。作品の背景や作曲家のプロフィールなども書かれているが、最も多いのはそれを演じる歌手や演奏者、指揮者、振付師などのインタビューで、読みごたえがある。毎日1ページずつ読み進めていたので、2か月かかった。
23/24シーズンのプログラムリスト
プログラムの充実ぶりがうらやましい。トゥールーズは枚方より少し人口が多い。枚方にも立派な文化芸術ホールができて、優れた音楽家を迎えられるようになったけれど、自分の町に国立管弦楽団と国立バレエ団があって、世界中から(主にヨーロッパだが)音楽家や舞踊家、振付師などを招聘できるだけの文化の底力がある。それを支える(享受する)市民あってこその底力なのだけれど。
本文ページを少し紹介。
23/24シーズンのバレエ公演みの小さいパンフレットとお得なパスの案内パンフレットがあった。表紙がクラシックで素敵だったので、もらってきてしまった。管弦楽団用のもあったけれど、そちらは普通におしゃれだった。
これらの紙類は、実は、キャピトル劇場に行かなくても、教会や福物館・美術館、公民館や観光案内所などどこででも手に入る。興味のある人だけが知る情報ではなくて、誰でも簡単に知ることができる情報なのだ。インターネットでも入手できるけれど、インターネットはこちらからアクセスして初めて接触できるわけで、こちらからわざわざアクセスしなくてもひょっと目に入るところに情報があるというのが文化行政では特に必要なんだと思う。
鞆の浦へ(その7)
2024年6月14日(土)
桝屋清右衛門宅(2)
母屋(有料エリア)に入る。土間から上がるとすぐ廊下というか縁側になっている。そのどんつきに花が活けてあるのだが、屏風と提灯(家紋は【丸に剣片喰】、龍馬とは関係ない)はともかく、花瓶がシンガーミシンの上に載っているのがいい感じ。
屋根裏の隠れ部屋へ行く前に、桝屋やいろは丸事件について展示で学習する。
枡屋は廻船問屋で、商船の積み荷の売買や生活用品の調達、船員の宿泊などを生業としていた。
いろは丸事件というのは、1867年(慶応3年)4月23日、坂本龍馬率いる海援隊の乗り込んだ蒸気船【いろは丸】が紀州藩の大型蒸気船【明光丸】と現在の備中六島沖で衝突した事件である。
大きく破損したいろは丸を明光丸が曳航するが、その途中宇和島沖でいろは丸は浸水のために沈没してしまう。関係者は鞆の浦に上陸し、海援隊側が枡屋清右ヱ門宅、紀州藩側が圓福寺に投宿、4日間に渡って賠償交渉を行った。(この交渉は決裂し、後日長崎で交渉を継続し、海援隊は紀州藩から賠償金を勝ち得た。龍馬の交渉術やら日本初の海難審判であることやら話題は尽きないが…)
パンフレットに掲載されていた 賠償交渉の経過が記された文書(福山市鞆の浦歴史民俗資料館蔵より抜粋)
ペリーが黒船を率いて浦賀にやってきたのが1853年、その11年後に佐賀藩で日本初の実用蒸気船が作られた。いろは丸と明光丸は欧州から購入したものだけれど、わたしたちのご先祖さまたちはそれから15年もたたないうちに蒸気船を使っていたのだと思うと、彼らの知恵と先見性が動乱期の時代を乗り切る礎になったのだと思わざるを得ない。
話は隠し部屋に戻るが、紀州藩との交渉中、龍馬は隠し部屋に滞在し、交渉の際は才谷梅太郎という偽名を名乗っていた。事件が起きたのは、明治維新の前年、京都で暗殺される7か月前なので、すでに幕府から命を狙われていたし、そのことを龍馬も知っていたということだ。
隠し部屋への階段(見学用に後から取り付けられたもの)を上り、隠し部屋に入る。
隠し部屋は伝承はあったものの、その存在は1989年に発見された。発見当時の隠れ部屋は埃だらけではあったが、当時の状態のままだったという。パンフレットに発見当時の写真が載っていた。
こちらは生写真、壁だったと思うのだが。
竜馬が寺田屋のおかみに宛てた手紙
龍馬の隠れ部屋に入れたことに一種の感激を覚えたが、それが案外落ち着いた書斎のような空間だったこと、隠れ部屋といっても紀州藩との交渉に関わる大勢の人々が出入りしていたのであろうと想像できることなど様々な思いも浮かび、この部屋そのものが歴史の生き証人なのだなあとつくづく感じたのであった。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その8)
2023年9月23日(土)
キャピトル劇場のフォワイエでの講演会
50人ほどの聴衆の前で、スライドを使って滔々と話を続ける男性。スライドには様々なオペラやバレエ作品の舞台装飾(大道具など)やそれを実現するための設計図、部分拡大図、製作風景などが順々に表示されている。キャピトル劇場で過去に行われた作品の舞台装飾で、それを手掛けたのが講演者である男性であることは、おいおいわかってきた。司会の男性はキャピトル劇場の広報担当だろうか?
実は、翌週から10月の第一週にかけて、新作バレエ【真珠とり(ビゼー)】が上演されることになっているのだ。そのPRも兼ねているのだろう。
講演者の名前はアントワーヌ・フォンテーヌ。キャピトル劇場の室内装飾画も手掛けている。キャピトル劇場での最近の仕事としては、【コシ・ファン・テュッテ(2020)】や【椿姫(2018および2023)】の舞台装飾がある。で、過去作の舞台装飾に対して、臨場感を増すために行ったデザイン上の工夫や機械仕掛けのアイデアなどを作品ごとに説明している。舞台に海を再現するとか、興味深いエピソードも多かったのだが、いかんせん長い。1時間近く聞いていても、話が終わる兆しがない。終わるかなと思うと、若い男性(サクラだろうか?)が絶妙のタイミングで講演者を喜ばせるような質問をして、また、話が始まるということが繰り返されている。
面白かったのは、リアルなチュイルリー宮を舞台に実現させようと思ったのだが、フランス人では無理で、わざわざイタリアから職人を招聘して、製作していただいた(!)という話。実は、トゥールーズに来てから、母への土産のバッグや自分用に買ったものなど知らず知らずみんなイタリア製で、トゥールーズ人自ら「これはイタリア製だから良いですよ」と力説する始末だったのだ。舞台装飾もイタリア人かあと思ってしまったのだ。
キャピトル劇場が出している季刊誌【VIVAGE!】(オールフルカラーで60ページもある)に、【真珠とり】についてのページもあり、そこにアントワーヌさんの作業風景も掲載されている。
上の巨大な植物画が【真珠とり】に使われたのかどうかは書いてなかったのでわからないが、ポスターなどで公開されている【真珠とり】の舞台装飾はこれ。舞台は東洋(スリランカ?)の海辺。エキゾチックで美しい場面だと思う。
ちなみに、季刊誌【VIVAGE!】では【真珠とり】に4ページを割いていて、上述のアントワーヌさんのほかに、演奏を行う国立キャピトル管弦楽団の指揮と国立キャピトルバレエ団の振付師のインタビューが掲載され、作曲家ビゼーや衣装デザインについても紹介されている。
掲載されていた衣装デッサン。スリランカで見つかった5世紀の岩壁画の女性像からヒントを得たという。
結果として、わたしたちは【真珠とり】を見にいかなかった。9月中の公演は26日と28日だったのだが、28日はラグビーの日本対サモア戦で、これを見るのを目的にトゥールーズに来たのだし、26日はジャコバンピアノフェスのチケットを買ってしまったのだった。日程が重なったから仕方ないことだけれど、見たかったなという気持ちもあった。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その7)
2023年9月23日(土)
今日は夕方から2か所行くところがあるので、いったん帰って【家】で休憩することにした。お昼寝タイムだ。
キャピトル劇場のフォワイエ見学
渡仏前から9月に2回キャピトル劇場のフォワイエ(ロビー)の無料公開があることは知っていた。1回目はカルカッソンヌに行ってしまったので、今日の夕方が見学に行くことにしていた。見学が夕方6時からで、その後、ジャコバン修道院でのピアノコンサートに行く予定だったが、コンサートは午後8時からだから、フォワイエを見てから軽く食事してコンサートに行けばよいという計画だった。
通いなれた道をたどってキャピトル劇場の入口に行くと、入口はVIPロープで塞がれ、正装した男性が立っていた。予約が必要とは書いてなかったよなあと普段着の自分たちを不安に思いながら、「フォワイエの見学に来たのですが」と言うと、VIPロープをあけて通してくれた。
無料ではあるが、チケットを渡された。
フォワイエの無料見学とだけ聞いていたので、立派な階段やフォワイエの内装、そこからキャピトル劇場をちらりとでも見学できたらいいなくらいの気持ちだった。が、それは大いなる勘違いだった。チケットに書かれている【A L’OPERA LES PECHEURS DE PERLES(歌劇 真珠とり)】の文字は伊達ではなかったのだ。
フォワイエには椅子が50脚くらい並べられ、9割方人が座っていた。その前にスライドが配置され、男性が二人座っている。ひとりは司会、もうひとりがゲストで、講演会が行われていた。ゲスト講演者はキャピトル劇場関連では有名な人らしく、司会者の話術にのせられていい感じでしゃべっている。時折、サクラなのか本当に関心があるのかわからない若い男性がいい感じの質問をするようで、彼の質問を受けるとさらに舌が滑らかに動く。最初の30分くらいは一生懸命に聞いていたのだけど、わたしのフランス語力の貧しさもあって、さすがにだんだんしんどくなってきた。次の予定もあったことから、申し訳ないけど、50分ほどでこっそり辞した。
面白い話もあったので、それについては次項で。そしてゲスト講演者についても次項で。
鞆の浦へ(その6)
2024年6月14日(土)
桝屋清右衛門宅(1)
突然現れた由緒ありげな日本家屋。
木戸脇の黒板に【約150年前に坂本龍馬が実際に滞在した屋根裏の隠し部屋が見学(有料)できます。】と書いてある。
龍馬にも興味あるが、隠し部屋というのはもっと興味ある。そもそも古民家という存在に弱い。竜馬云々とは別に、伝統的建造物の指定を受けた建物なのだ。いずれにせよ、入らないという選択肢はない。そして、ここでわたしはいろは丸事件について知り、鞆の浦には龍馬ゆかりの史跡が大きいものだけで4か所もあることを知ったのだった。
角を曲がったところが入口だという。
入口を入ってすぐの土間は福山や鞆の浦がモチーフのご当地雑貨や地元ゆかりの生活小物を販売する雑貨店【MASUYA】になっている。母屋が有料の見学コースだ。
パンフレットの表紙に、家の全体像の写真がある。ついでに言うと、パンフレットは日英二か国語表記である。
雑貨店のショップカードにも母屋のイラストがあしらわれている。龍馬云々と言わないところが潔い。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その6)
2023年9月23日(土)
シャトー・ドー(Château d'eau)(3)
冊子に掲載されている写真には撮影年が書かれていない、つまり、個々の写真がクーデター前の不穏な空気を示しているのか、クーデター後の不安な空気を示しているのかが明記されていないから、わたしたちは想像を膨らませるほかない。
これはクーデター後だろうとわたしは思っているけれど。これからどうなってしまうのだろうという不安な面持ち…
不安におびえる恋人たち…
見張りの兵士は何を見張っているのだろう? 軍(やテロ集団、独裁国家)のような上意下達の組織では、下の者は判断力や意見を持ってはならないのか、組織にいる間に判断力や意見を持つことができなくなるのか…
クーデターで倒れたサルバドル・アレンド大統領の在りし日の姿
撮影には銀塩フィルムが使用された。
写真展を見たあとで、別棟の資料室へ移動した。そこでトイレを借りようとしたのだが、詰まっていた。それで、件の強面の警備員のところへ行って「トイレが使えない(La toilette ne marche pas)」というと、彼はちょっと考えて「流れない(Elle ne coule pas)?」と聞いてくれた。「Non, non(そうなんです)」
「トイレを流す」はflushしか思い浮かばなくて、ごまかしたのだけど、ひとつ勉強になった。
怖そうな警備員さんだったが、「夫がトイレを使いたがっている」というと、「Suivez moi(ついてきて)」と一言。事務棟(もとはポンプ室だったんだろうと思う)のトイレを使わせてくれた。
「使い終わったら、そのままでいいですよ(もとは鍵がかかっていた)」と言って、行ってしまった。
使用後、資料室の方へ行ってみると、警備員の彼ともう一人のが男性がトイレの修理をしていた。お礼を言って、そこを辞したが、その時にはもう彼のことを怖いとは感じなかった。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その5)
2023年9月23日(土)
シャトー・ドー(Château d'eau)(2)
それでは、写真展を見に行こう。展覧会のテーマはチリのクーデターということだが、予備知識はほぼ0。正直に告白するならば、写真展そのものよりも給水塔の中を見られるほうにわくわくしていた。
とはいえ、チリをテーマにするのは単に50周年だからということだけではなく、ここトゥールーズでチリの試合もあるからという理由もあるのかもしれない。
入館券
入口に立っていた中年の警備員がわたしたちを少し不審な目で見ているような気がした。誰に対しても厳しい視線を注いでいたのかもしれないが、少なくともウエルカムな感じは受けなかった。受付の人からはそんな印象を受けなかったから、学芸員と警備員の違いかもしれない。
入館券を買うと、1冊の冊子を渡された。4枚の紙を中心でホチキス止めした冊子で、小学校高学年から中学生くらいが対称だろうか? 説明あり、クイズあり、感想を書く欄ありで、なかなかよくできている。わたしはこれを帰国してから読んでいるのだが、実際にこの冊子を活用しながら写真展を見ていたら、印象がだいぶ深くなっていただろうと思う。
表紙
中ページの例:表紙の上の写真の半分を模写せよというのが課題で、その下に、「何人の人間が写っているか」「彼らは誰だと思うか」「何をしているのか」などの質問が並んでいる。答えのある質問ではなく、考えさせるための質問だ。
逆に、わたしはこの冊子を頼りにこの写真展について書いてみる。表紙に使われている2枚の写真は、告知ポスターなどにも使われていて、トゥールーズ市内でしばしば見かける。
もらった冊子によれば、【上の写真はレイモン・デュパルドン、下の写真はデイビッド・バーネットが撮影した。レイモンはフランス人の写真家、ジャーナリストで映画も撮っている。彼は、できるだけ直接人々や事件を撮影し、現実(真実)を伝えることを使命としていた。デイビット・バーネットはアメリカ人の写真家で、50年以上世界を股にかけて報道写真を撮影してきた。
この写真展は1971年9月と1973年9月に、上のふたりの写真がチリを訪れて撮影した写真を扱っている。
1971年にふたりが訪れた時には、チリはすでに何年も政治的動乱の中にあった。民主選挙で大統領にされたサルバドル・アレンドはチリをより平等にすべく奮闘していたが、抵抗勢力に阻まれていた。1973年9月アウグスト・ピノチェト将軍が蜂起した。クーデターだった。ピノチェトは軍事政権を樹立し、1990年まで国を支配した。その後、チリは自由選挙を取り戻し、人権を尊重する国家への道を再び歩んでいる。】
簡潔で分かりやすい説明。ふたりの報道写真家は、きな臭さが漂うクーデター前のチリの人々を撮影し、クーデターが起こったチリの顔を撮影したというわけだ。
冊子と一緒に【しおり(?)】もくれた。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その4)
2023年9月23日(土)
シャトー・ドー(Château d(1)'eau)(1)
9月8日に訪れたときには閉まっていて、入口の柵に展示予告が掲げられていた。
今日はもちろん開いている。
現在開催中の展覧会はこれ
ギャラリーで写真展を見る前に、由緒ある(?)19世紀の給水塔の周りをぐるっと回ってみた。給水塔とポンプ場は1825年に建設され、当時は市内90基の噴水に給水していたという。1987年に歴史的建造物に指定されている。
このギャラリーの設立功労者ジャン・デュゼイドを記念する銘板。
【ジャン・デュゼイド 1921-2003 フランス初の写真専門ギャラリーである公立シャトー・ドー・ギャラリーの創設者、1974年設立】と書かれている。パリ市庁舎前のキスで有名なドアノーの個展も開催されたという。この銘板は2004年に当時の連帯保健大臣フィリップ・ドスト・ブラジとトゥールーズ市長ジャン・リュック・ムーダンにより設置された。ジャン・デュゼイドはこのギャラリーの初代取締役を務めた。
すったんもんだの末に、トゥールーズ市の管轄となり、フランスでは2番目の公立写真専門ギャラリーになった。
給水塔の周囲は静かな林間緑地のようになっていて、木漏れ日の隙間から除く赤レンガの塔は味わい深い建物になっている。
給水塔の1階と地下が展示場になっていて、そこからいったん外に出て別棟に行くとそちらは資料室(図書室)やミュージアムショップになっている。後でわかったことだが、ポンプ室は事務室になっている。
別棟へと続く道
上の写真で左端の塀の向こうはガロンヌ川沿いの緑地広場になっているが、ここにラグビー中のラグビービレッジが作られている。1週間前にイングランド戦を見に来たのは、ここのパブリックビューイング会場だった。途中で雷雨に見舞われて中止になったのだが。
ラグビービレッジに向かう道の方から、給水塔を見ると一層古びた感じがする。
では、写真展を見に行くことにしよう。
トゥールーズ・ロングステイ2023(19日目・その3)
2023年9月23日(土)
昼食
アエロスコピアから帰る途中、地下鉄A線のサン・シプリアン駅(Saint Cyprien)で降りた。9月8日に訪れたのに展示替えで見学できなかったシャトー・ドー(Château d'eau)(19世紀の給水塔、現在は写真ギャラリー)に行ってみようと思ったのだ。
その前に、昼食だ。
駅からChâteau d'eauに向かって共和国通り(Rue République)を行くと、途中にオリヴィエ広場(Place Olivier)がある。オリヴィエ広場(一角に立派な噴水がある)とその向かいの小さな広場はレストランが並んでいる。そのうちの一軒【Prima Circus】というイタリアンレストランで昼食を取ることにした。
いつものように前菜と主菜を1品ずつ。前菜は前から食べたかったズッキーニの花の天ぷら、主菜はリコッタチーズとほうれん草のカネロニ。
きびきびしながらも感じの良い笑顔を絶やさない若いウェイトレスが、言わずとも、お取り皿を持ってきてくれた。カラフの水も。
ズッキーニも美味しかったが、カネロニが絶品だった。帰国までにもう一度食べたいと思った(かなわなかったが)。ただ、初老夫婦にとっては、二人で食べても食べきれないくらいの量、がんばってがんばって食べた(主に夫が )。
食後にコーヒーをいただいたが、デザートははなっから無理だったので頼まなかった。目はティラミス食べたいと言っていたけれど。
シャトー・ドー(Château d'eau)へ
オリヴィエ広場から再び共和国通りをポン・ヌフ(Pont Neuf)まで歩くと、橋のたもとにシャトー・ドーはある。【家】からならガロンヌ川沿いを歩いてポン・ヌフを渡るほうが近い。
共和国通りを歩くうちに見えてきたシャトー・ドー、トゥールーズらしいバラ色レンガの塔だ。
通りを挟んで反対側に、サン・ジャック施療院がある。こちらはすでに世界遺産の日に訪問済みだ。