2024/06/30 新中野 弁天にてライブ 

 

色々と書きたいことがあるが、まずはライブ告知!


ライブ日程:2024/06/30  

スーパーアマチュアライブ


場所:ライブハウス 弁天http://www.benten55.com/top.htm

素敵な場所だなぁ、


出演時間:13:00〜

(30分間)


バンド名:B.P Annies

→スリーピースバンドです。


オリジナル曲5曲予定!


以上、告知終了。


目次
1.フリーターの今
2.バンドが最高
3.再点火


    フリーターの今


     パソコン、ブートモードがどうとかで起動しない。気づいてから48時間以上経過した。

    めちゃヘビーな腰を上げて、ブログを書こうと思った矢先の出来事である。

     スマホ一つで事足りるため一年放置した罰。詰み。

     パソコンみたいに前の記事の書式とか持ってこれないので嫌に時間がかかる。

    無駄話終了


     最近はバイトのみんなと過ごせる時間がとても心地よい。前述したライブにも足を運んでくれるらしく、嬉しい。音で恩返しできる日がやっときたのだ。

     自分の番が終わったらみんなに挨拶したい。ライブハウスでお酒でも呑めたらいいな。

     イベントバイトの方は、あまり入れていないが非日常を演出する方法を少しは盗めたと思う。目視窃盗犯。罪。


    さて、バンドいつのまに組んだのって話をしたい。


    バンドが最高


     なんの運命だろうか

    2023/06/30 会社を辞めた一年後、

    2024/06/30 ライブ出演

    『いやいや、ライブ出るまで長すぎでしょ』

    『この一年何してたん?』

    まあまあ、落ち着いて。。

    君が思ってるより一歩は小さくて重いのだよ。

     

     会社を辞めたあと、運良くライブに出させてもらえたことはあったが、バンドは組めていなかった。いわゆるハコでのライブもできていない。


    要因1.実力不足

    →友達からやろうよーみたいな声はあったが、どれも音合わせくらいで終わってた。自分のドラムスキルが足りてないから、誰も本気にさせられていなかった。曲作りも中途半端にしてしまった。


    要因2.そもそも組みたくなかった?

    バンドメンバーとしてやっていきたい大本命がいたため、そこ以外と組もうとしてなかったのかもしれない。


     今、念願かなって、大本命とバンドができることになった。

    それが鳥人間コンテスト時代の仲間たちだ


     会社を辞めるなんて考えてなかった、ある日の夜。

     鳥コンメンバー何人かで呑みに行った帰りの喫煙所。

     苦しい毎日を曲にでもしようかなーって重い気持ちを軽く言ったところ、友人の1人が

    『絶対に曲にしろっ!!』

     本気で訴えかけてきた。彼の目は血走っていたように思う。


    この瞬間、翼が風を捉えた。


    なんとなく、ずっとドラムをやって

    なんとなく、ずっと作りたい曲があって

    なんとなく、なにもせず死なないだけの毎日。

    あれ、やっぱり音楽やりたかったんだなぁと自覚した日である。


    鳥コンのメンバーとはトリオで

    サックス(吹奏楽経験あり)

    ベース(曲にしろ!の人)

    ドラム(自分)

    の編成を組み、時間のある時に音合わせをよくやっていた。

     でもロックバンドって感じではなく、あくまで即興練習からは出ていなかった。


     だが、どうしてもここで組みたかったのだ。

     ここで鳴らしてる時が一番全てを出せた気がするから。


     仕事を辞めた後、久々に集まった時、一つ奇跡が起きた。

     サックス吹きがギタリストにジョブチェンしたのだ。これがうまくマッチしていた。

     あの時叫んだ男はギターもベースも作曲もできる。3人編成の曲も作ってくれた。

     そこからカクカクシカジカ、やっとバンド組むことになった。


    もうすでに舞い上がっているが、本番はこれからだ。


    2024/06/30 待ち望んでいた日がやってくる


    再点火

     話を少し変わるが、我々の鳥人間コンテストで飛ばした機体の名前は灯火という。

     テレビ局に提出した『飛ばなければいけない訳がある!』という、志望動機のようなものに、我々はこう書いた。

    以下抜粋

    私たちは、常に情熱を持って過ごしてきた。(中略)楽しさが辛さを凌駕していた。機体製作がうまくいかない時、この思い出が心に情熱を、また灯すきっかけとなっていた。そして、私たちの灯火を飛ばす時その灯(あかり)でパイロットがうまく飛べると信じている。情熱は最後まで冷めることはない!

     心の情熱が消えかかっていたところに、また火をつけたのは楽しい思い出だった。


     たまたま音合わせして、流れでライブに出たいとかじゃない。

    毎日を授業、作業場で過ごした仲間たちと、

    暑い夏も寒い冬も旅をして励まし合った仲間たちと、、

    人力飛行機が落ちていった景色を見て涙した仲間たちと、、、

    ライブに出るんだ。

    思い出はそのまま、飛行機が音楽に。


    あの時の汗、涙、あるいは琵琶湖の水でさえ溢さないようにドラムに乗せて叩こうと思う。


    最後に、多くのバンドがそうであるように消えてしまわぬよう、、

    灯し続けよう。その火を。