秋吉敏子は,1929年満州生まれの日本人ピアニストです。そして,作曲家・編曲家であり,ビッグバンドのリーダーでもあります。

 

ジャズという音楽を言葉として操り,それぞれの曲にしっかりとしたメッセージを込めて聴かせる彼女の音楽は,単にジャズという枠を越えた独特の世界を持ちます。

 

そんな彼女のアルバムからの1曲を紹介します。

 

 

彼女は,日本人として初めて奨学生としてバークリー音楽院で学んだ方です。

 

1962年に,アルト・サックス奏者のチャーリー・マリアーノと結婚。

 

翌年,後にミュージシャンとして名を馳せる娘,マンディ満ちるもうけるも1965年に離婚。

 

1969年にフルート,テナー・サックス奏者のルー・タバキンと結婚し,73年に秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成します。

 

このバンドは,アメリカのダウンビート誌でも,批評家投票で1979年から5年連続,読者投票で1978年から5年連続1位を獲得しています。

 

そんな,秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドが,1976年に発表したアルバム「Insights(インサイツ)」は,ビッグ・バンド・ジャズが持つ可能性を最大限に引き出した傑作でしょう。

 

日本のジャズ名門誌スイングジャーナル選定による1976年のジャズディスク大賞金賞を受賞したアルバムです。

 

レコードでいうA面にある3曲も素晴らしいのですが(特に3曲目の「Sumie(すみ絵)」の表現力は絶品),やはり注目は,B面全部を使った「Minamata(ミナマタ)」です。

 

この曲は3部の作りになっていて,

 

Peaceful Village(平和な村),Prosperity and Consequence(繁栄とその結果),Epilogue(終章)と続いています。

 

途中に切れ目はありませんが,その節目ははっきりしています。

 

曲の出だしに,マンディ満ちる(当時13歳?)により,「村あり,その名を水俣という」というあどけなさの残る声のアカペラで導かれ,ゆったりとしたオーケストラのアレンジが続きます。

 

静かで平和な田舎の風景描写が秀逸で,時がたっても何も変わらないのどかさを感じさせるアレンジ。

 

4分52秒,その静かな平和が崩れ,企業誘致によるものでしょう,村が急激に大きな変貌を遂げ,発展の無防備な歓びがホーン・アレンジとサックスソロにより表現されます。

 

次のトロンボーン・ソロ,そして再びサックス・ソロ,トランペット・ソロとバトンタッチされますが,その変わり目に時折訪れる,このまま繁栄を喜ぶだけでいいのか,という不安感をあおるアレンジが,この曲が,単なるビッグ・バンド・ジャズのソロ・リレーではないことを思い出させます。

 

17分35秒頃から能の表現がメインとなり,繁栄の陰にあった不安が現実問題として表面に出てきたことを示します。ただ,まだバックでは,ただ繁栄の歓びに浮かれた様子のアンサンブルが。

 

そして,この発展が取り返しのつかない問題を巻き起こし,曲は最後の楽章へ。

 

能による謡曲で「村あり,その名を水俣という,なるこそあはれなりけり」と謡われ,曲は終わります。

 

と,この長い曲には物語があります。

 

私が勝手に解釈したものなので(レコードの解説はもう忘れました^^),というか,音楽の解釈は聴き手の自由なので,皆さんもぜひじっくりとこの曲に向かい合ってみてください。

 

音楽が,こんなにも豊かに物語を紡ぐことができるということに気付くことでしょう。